「海と暮らせば」に
関する記事一覧
-
/
-
コラム#4-2 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 浅草の仲見世通りにある、梅干しと定食の店「梅と星」@ume_to_hoshi へ。 鶴亀食堂がここでイベント的に気仙沼産のカツオやわかめ、メカジキを出したり、斉吉商店が海鮮丼を出したりしたこともあり、東京と気仙沼をつなぐ場所にもなっている。 この場所を運営するのは、株式会社バンブーカットの竹内順平さん。 「気仙沼漁師カレンダー」を気仙沼つばき会と一緒に制作してきた、気仙沼と切っても切れないご縁の方だ。 竹内さんが始めて気仙沼を訪れたのは、2012年にほぼ日が開催した「気仙沼さんま寄席」の時。当時は大学を卒業したてで、ほぼ日のアルバイト未満のような状態。お手伝いのような、付き添いのような、そんな形でスタートした。それから「気仙沼のほぼ日」ができて、通う理由ができた。 「何かと手を挙げて、力になれるなら、なんでもやります!って感じでした」 2年ほど働いたほぼ日を卒業してまもない頃、ご縁あって漁師カレンダーの制作に携わることになった。 「ほぼ日にいられたおかげで、微力ながらも力になれる環境にいられたんですけど、卒業したらなんの力にもなれなくて、関わり続ける仕事をつくることもできなくて。そんな中でいただいたお話しだったので、ご縁が切れなかったという喜びは、すごく大きかったですよ」 これまでとは違って、自分でプロジェクトを回していかなきゃいけない中で、どうしたら力になれるのかたくさん考えたという。そして今年、最終章となった10作目が完成した。 「本当に力になれたのか、今も答えはわからないです。でも、なってると思ってもらえたら良いなと思います」 答えはわからない。そう話す竹内さん。どんな思いで気仙沼に関わり続けてきたのだろう。 (1/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#4-1 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 2024年の1月1日、能登半島地震が起こった。 テレビからは、力強い声で情報を伝えるキャスターの声。 L字バーに津波の到達情報が映し出されている。 みんな逃げてほしい、助かってほしいと祈るしかなかった。 テレビ越しに感じる緊迫した状況の中で、ふとよぎったのは 「あの日、気仙沼もこんな風に見られていたのかな」ということ。 13年前のことを、自然と思い出していた。 この13年、いろんなことがあった。 まちは時間をかけて変化してきた。 そして本当にたくさんの人が、気仙沼に関わってくれた。 気仙沼でがんばる人も、 離れたけどずっと思いを寄せる人も、 あの日を機に気仙沼に関わり続ける人も。 一人ひとりに、13年間の軌跡と、思いがある。 東日本大震災を経験した気仙沼だから 伝えられることがあるんじゃないか。 大げさかもしれないけれど、きっとあるはず。 そう思って、3人の方に会いに行くことにした。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#3-6 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 今あるものを見つめて大切にすること。 消費するだけでなく、創造的であること。 仲間と一緒にやってみること。 くるくる喫茶や勝手に環境庁の話を聞いていると、「地球にも人にも優しいって、実現できるのかも」と希望が湧く。 私はどこかで「一人とか少人数が動いたところで、現状は変わらないだろう」と勝手に諦めていたけれど、そうじゃないんだと思った。 一人ひとりのエコな選択と行動が増えたら、そこから変わるかもしれない。 そう信じられる今、私はとにかく実践するのみだ。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#3-5 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 「気仙沼勝手に環境庁」( @kankyo_ksnm) やりたいから、「勝手に」環境に優しいことを学び、実践する仲間が集まっているコミュニティ。最初はあすかさんが旗を立て、活動していくうちに仲間が増えていき、今は20人以上のメンバーがいる。 私は、詳しいわけでも実践しているわけでもなかったけれど、環境に優しくなりたくてメンバーになった。まずは知ることから、参加することから始めようと思い、これまで開催されたイベントに参加してみた。 廃棄されるはずだった食材を集めて作った料理を振る舞う「もったいないキッチン」、古着屋、キエーロ作りワークショップなどを盛り込んだイベント「勝手に環境通り」。ギフト経済のトライイベントとしてお金ではなくみんなが持ち寄った食材をシェフが美味しく料理してみんなでいただく「もちよりキッチン」。エコバッグやタッパーを持ち込んで必要な分だけ欲しいものを買える「量り売りマルシェ」。コンポストの勉強会などなど。 参加するうちに、自然と「環境に優しいことってなんだろう?」と考える時間が増えたし、知らない間に自分の価値観がどんどんアップデートされていることに気づく。 私はまだ誰かの「勝手に」にのっかって楽しくやっているけれど 自分の「これやりたい」にみんなを巻き込めるようになりたい。 一人でできることには限界があると、仲間が増えて気づく。 みんなと一緒にやるから、楽しい。 写真提供 矢野明日香 ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#3-4 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 2016年に気仙沼に移住したあすかさん。 今は自分の畑で好きな野菜を育てたり、鶏と一緒に暮らしたりと、自然とともに生きる暮らしをしているけれど、もともとは東京のIT企業でエンジニアをしていた。 都会で働く中で、ものすごいスピードで進む物事に違和感を覚えたり、体調を崩した時に、食べることが命につながっていることを実感したり。 その経験から、自分が食べるものを自分でつくる暮らしを、気仙沼の唐桑という自然豊かなエリアで始めた。 あすかさんは「畑のsoup屋さん」 @hatakenosoupya の顔も持っている。友だちと一緒に始めた畑で育てた野菜を、みんなに気軽に味わってもらえたらと、イベントに出店している。 「もっと上手に自然と暮らすことを学びたい。私もわくわくするし、自然にとっても良い、そんな風に暮らしのなかに循環が生まれたら」 その思いを種にあすかさんが2020年に始めたのが「気仙沼勝手に環境庁」。 @kankyo_ksnm 「くらしから みらいをかえる」をテーマに、環境にやさしい暮らしを学び、実践する人たちの集い。今実践している人も、これからそうなりたい人も仲間になって、みんなで取り組んでいる。 「勝手に」というのがミソ。強制でもなく、義務でもない。 みんな勝手にやって、それが集まるから楽しくなってくるのだ。 写真提供 矢野明日香 ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#3-3 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? くるくる喫茶の向かいに、もともと酒屋さんだった建物がある。窓ガラスには「お直し考」と書かれている。2023年3月、この場所で開催されたイベントに参加した時に初めて知った言葉だった。 例えば靴下に穴が空いてしまった時、捨ててしまうのではなく自分の好きな色の糸で縫って穴を塞ぎ、お直しして靴下の寿命を伸ばす。 例えば自分が使わなくなった食器や本、子育てグッズなどを蚤の市などに出して今必要とする人に提供する。 いらなくなったら捨てて新しいものを買うのが当たり前になっているけれど、その「いらないもの」は誰かにとっては価値のあるものかもしれないし、ひと工夫で新しい使い方ができるかもしれない。 今あるものの価値を見つめてみる。消費ではなく、創造する。手間をかけるから、愛着が湧く。そしてまた誰かがその価値を見つめて、活かす。その循環を生むのが「お直し考」だと、私は受け取った。 イベントが終わった後、ここもくるくるの棚になった。窓際には誰かが持ち込んだ食器や小物が並んでいる。良い出会いがあれば、誰でも持って行って良い。 並んだ食器たちの中で、一つの灰皿が目に止まる。昔の飲み屋さんで使われていたであろう青いプラスチックの灰皿。レトロなロゴが可愛らしくて、持ち帰ることにした。今、部屋でアクセサリートレーとして使っている。 ものを大切にするための、価値のバトンパス。 これが広がったらいいなと、日に照らされた食器たちを眺めながら思った。 (前の投稿にもあるように、自由気ままに新しいことを楽しむお店なので、訪れた時にはまた新しいことが起こっているかも。それは今後のお楽しみ。) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#3-2 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 気仙沼の八日町のまちかどにある「くるくる喫茶」。 @kuru2utsumi 木製の看板には「コーヒー、wi-fi、軽食、電源、その他」の文字。仕事をしたりゆっくりコーヒーを飲んだり、おしゃべりしたりできる喫茶店だ。若い移住者から地元のおじいちゃんおばあちゃんまで、いろんな人がここに集まる。みんなから親しみを込めて「くる喫(きつ)」と呼ばれている。 気仙沼の老舗菓子店だった建物を、店主の吉川晃司さんがリノベーションしてこのお店をつくった。ちなみに名前の読み方は「よしかわ」さんだ。初めて会った人によく「えっ、あの人と同じ名前?」とつっこまれるらしい。 くる喫ではよくイベントが開催されていて、空間の表情がくるくると変わる。 インドネシアから気仙沼に来て働いている技能実習生たちと繋がる1日カフェをやったり、アート展示の会期を設けたり、弾き語りライブをしたり。吉川さんが好きなもの・こと・ひとを介して多様な人が集い、それぞれ自分の「好き」を楽しむ場所になっている。 そんな空間に2022年の冬に現れたのが「くるくるの棚」。 置かれているのは食器や花器、本や小物など。地域の人たちがいらなくなったものを持ち寄ったものだ。これらは、一筆書けば全て持っていって良いものだという。 誰かがいらなくなったものが、誰かにとっての欲しいものになる。 誰かから誰かへ渡る価値の循環がこの棚から生まれている。 毎日ものすごいスピードで大量の新しいモノが生産され消費されているけれど、「あるもの」の価値を信じる人が増えたら、 世界は地球にも人にも優しく変われるんじゃないか、と思う。 (ちなみに、自由気ままに新しいことを楽しむお店なので、訪れた時には空間が変化しているかもしれない!それもお楽しみに) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#3-1 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 「持続可能」とはよく聞く言葉だけれど、なんだか壮大で、考えるのをやめてしまう自分がいた。 自然環境に優しいことをしたいし、 人間以外の生き物にも健やかであってほしい。 そんな思いを持ちながら、忙しない日々に流されていく自分。 正直、目の前のことで精いっぱいだ。 でも、このまま「あ〜何にも地球に良いことできてない」と思い続けるのはごめんだ。 できるだけ楽しく、地球に良いことをしたい。 楽しい方が、続けられる気がするから。 じゃあ私にできることって、何だろう? マイボトルやエコバッグを持ったり、 ゴミ拾いをしてみたり、移動手段を公共交通機関にしたり。 自分なりにやってみているけれど、 もっとできることはないだろうか。 そのヒントをもらいに、気仙沼にいる人たちに 話を聞いてみることにした。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#2-6 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 「せっかくだから、もう少し遠くまで行ってみっか」と、 やっくんは漁港からどんどん離れるように船を進めた。 乗せてもらった船にはお立ち台のようなスペースがあり、ここは何に使うのかと尋ねると、「船に乗せた人が、ここに乗ったら景色良くて楽しいでしょ。だからつけたんだ」と言う。 やっくんは、人を喜ばせるのがうんと好きなのだ。 ブオオオとスピードを上げて進む船。 後ろを振り返ると、さっきまでいた作業場が小さくなっていく。 風を切る。跳ねる波飛沫を見つめる。景色がどんどん変わっていく。海の上は、こんなにも気持ちがいいのか。 大島と気仙沼市内をつなぐ鶴亀大橋が近づいてくる。 初めて下から見上げた橋は、やけに堂々としているように見えた。 橋をくぐる瞬間、遊園地に来た子どものようにはしゃいでしまった。 港に帰ってくる頃には、胸がこれでもかというほどいっぱいになっていた。 私は海の上が好きなのかもしれない。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#2-5 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 知人の紹介で、牡蠣養殖の漁師さんに会いに行った。 みんなから「やっくん」と呼ばれていて、代々この土地で続く牡蠣漁師。 私が「今日は〇〇さんに紹介してもらって来ました」と話すと 「おー、〇〇の頼みなら仕方ねぇなぁ」と嬉しそうに笑った。 なんと特別に船まで出してくれて、養殖場を案内してくれることに。 「穏やかな湾内で育ててから少し波のある場所に移動する。そうすると身が引き締まった立派な牡蠣が育つ。もまれ牡蠣っていうんだけど。全部場所変えてやるのは手間だし大変だよ。でも、やるんだ」 ゆらゆらと海面に揺れる、丸太に吊るされた牡蠣たち。 やっくんが自然の力を信じて少しだけ手をかけることで牡蠣はすくすくと育っていく。 見せてくれた牡蠣は輝いていて、とても美味しそうだった。 この海が、ここまで育てるのだ。自然の力は想像を超える。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#2-4 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 白くひかる祈りの帆が、静かにまちを見渡している。 気仙沼市復興祈念公園。 市内のあちこちから、この帆が見えるようになっている。 2011年3月。東日本大震災が発生し、避難所となっていた体育館で行われた卒業式で代表生徒が読んだ答辞が言葉が、今も記憶に残っている。 「天を恨まず、運命に耐え、 助け合って生きていくことが、 これからの私たちの使命です」 10年以上経ってこの言葉に再び出会った時、 このまちの人たちは「運命に耐える」より「運命を変えてやる」くらいの気持ちで今日までやってきたんじゃないか、と勝手ながら思った。 「耐える」という言葉が、なんだか似合わない気がしたのだ。 私が知っている気仙沼は、もっと主体的で、能動的で、「自分たちのことは自分たちでやっていく」という意志に溢れているから。 気仙沼市の復興スローガンは「海と生きる」。 海は時に人にとっての脅威となる。それは忘れてはいけない。 ここに生きる人たちの根底には、海に生かされてきた感謝がある。海と一緒にまちをつくってきた歴史がある。 だから、海と生きる。そう自分たちで決めてきたんじゃないだろうか。 2023年。公園からは 海と、 市場と、 漁船と、 気仙沼のまちが見えた。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-
コラム#2-3 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 鶴亀食堂ではその日市場にあがった新鮮な魚を食べることができる。 あったかいご飯と味噌汁、小鉢に漬物。 朝ごはんにここで定食を食べると、体の芯からエネルギーが湧いてくる。 漁師さん以外にも、鶴亀ファンは多い。私もそのうちの一人だ。 ごはんが美味しいのはもちろん、スタッフのみなさんが活発で、漁師さんたちと仲が良くて、その雰囲気の中にいるとパワーチャージできる気がするからだ。 一人で来た時には、カウンターに貼ってある鶴亀通信を読む。 何気ない日常や、離れていた間に起こった最近の気仙沼のことなどが書かれている。 必ず「漁師の皆さん、おつかれさまです!」とメッセージが書いてあって、これを読んだ漁師さんは嬉しいだろうなぁと思いはせる。 壁にかけられた手拭い。 行ってらっしゃーい!の元気な声。 「今日はどうでした?」と弾む会話。 鶴亀食堂は、漁師さんへのリスペクトで溢れている。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから