「海と暮らせば」に
関する記事一覧
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コラム#望郷編5 ハッシュタグ「#今日の岩井崎」とは
気仙沼に長期帰省していた友人がある日「#今日の岩井崎」とタグをつけてストーリーを更新した。 岩井崎で撮影した龍の松と潮吹岩の写真。「ほう...」と思ってみていたら翌日もまた「#今日の岩井崎」が更新された。 なんだか気になって連絡すると、どうやら岩井崎を出発地点として、ぐるっと海岸沿いの防波堤の上を3kmほど離れた大谷の防波堤端までウォーキングしているらしい。 定期的に更新されるそれが面白くて「今日は手前で撮ってるな」とか「今日の雲キレイ~!」とかつい反応していた。 彼が投稿をお休みした日には「うわぁー!今日の岩井崎が~!」と残念がる私へ「岩井崎中毒者増えてる笑」と返信がきた。 どうやら他の友人たちも「#今日の岩井崎」が気になっていたようで、かなりの連絡がきたらしい。 もはやインフルエンサーじゃん。 ある日「今度帰ったら一緒に今日の岩井崎やりたい」と連絡した。 二人でぽつぽつと話しながら歩く。画像では分からない海の香りに気づく。 日々の、言葉にできないざらついた何かが、海風に撫でられ不思議と軽くなっていく気がする。”近所にある観光地”なんて思っていたけれど、きれいで、ささやかで、穏やかで。 それ以来、帰省の時は”岩井崎を淡々と歩く”というのがお気に入りになった。 彼のダイエットがてらにはじめた投稿は、私たちの生活の範囲でごく小さなムーブメントを起こした。 こういう、ちょっとしたクリエイションが、暮らしを楽しむきっかけになるのかも。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編4 「むしろ元気をもらったよ」
気仙沼に住んでいる姉から「朝市やるみたいだから行ってみない?」と誘われたある日の帰省。 石川県輪島市で震災前から(調べるとなんと1400年も!)続いてきた「輪島朝市」が、気仙沼つばき会との縁で出張朝市をするらしい。 その日はあいにく大粒のみぞれ雪だったけど、天候を物ともしない活気が会場を包んでいた。 イメージカラーだという明るいオレンジの上着を着た女性たちの張りのある声が響き、テントの中は人がたくさん。 何かの商品が売り切れると、「完売で~~す!」という声と共に、あちこちから拍手の音が響く。 自分のお店でも、そうでなくても。なんだかとても気分が良い。 カラッとした勢いと笑顔は、気仙沼の人々と似ていた。 きっとそれは、人に届くものであり、それを発する自分自身にも届くものなのだと感じた。 「元気にやっているよ!」と「元気にやってかなきゃね!」という、自身の背中を押すおまじないのような心意気。 過去を抱きしめながら、いまを愛おしみ、未来を祈る人のそれ。 開始1時間でほとんどの商品が完売したようで、かくいう私たちも干物やあおさ、塩、手ぬぐいなど気付けば結構買っていた。 ただ、購入品云々よりもむしろこちら側がエネルギーをかなりもらったような気がした。 東日本大震災以降、気仙沼に支援しに来てくれた沢山の人たちが「むしろこっちが元気をもらったよ」と言っていた意味が、なんとなく分かった。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編3 気仙沼の夜、何してる?
気仙沼の星空がきれいだと知ったのは、数年前に仙台で暮らしていた時、カメラが趣味の友人が教えてくれたことがきっかけだった。 聞いた時はかなり驚いたけれど、改めて意識して眺めてみれば確かに満天の星空で。空一面遮るものなく、小さな遠くの星まで見えた。 「気仙沼の夜って何したらいいんだろうね~~」 なんてたまに言われるけれど、そういう当たり前すぎて気づかなかったことを偶然見つけたり探しにいくのも面白いんじゃないかな、と思ったり。 この前偶然発見したのは、夜の気嵐。 朝日に照らされているイメージが強くて瞬時に結び付かなかった、小鯖漁港の海面に立ち上がる湯気のような霧。 友人は「あぁ、気嵐だよ。実は夜もあるんだよね」と教えてくれた。 気仙沼生まれ気仙沼育ち気仙沼Loverな私も、27年目にして初めて知ることがある。 また別の日、東京から帰省していた友達とライトアップされた神明崎を散歩していたら、道にヒトデがドーンと落ちていた。 私は「ヒトデだな...」としか思わなかったけれど、友達は笑いながらそのヒトデをパシャリと撮った。 「なんで道にヒトデ?!どっから?違和感~!なんだこれ笑」と。確かに。 帰省する度、人と触れ合って、いろんなところにいって。 見つけたり気付かされたりしながら、はじめましての気仙沼を楽しんでいる。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編2 サンセット・サンライズ帰省
いつからだろう。 年末年始の帰省タイミングが合った時は、20年来の幼馴染と二人だけでサンセット(日の入り)を見に行くのが恒例になった。 これまで岩井崎・大島・大谷...様々な場所へ日の入りを見に行ったけれど、どのサンセットも美しくて。 二人で写真を撮ったり貝を拾ったりしながら1年の出来事をあれやこれやと振り返る。 「去年はこういってたもんね」と、自分自身でもわからない変化に気づいてくれたり。 宮城と東京で住む場所もやっていることも全く違うけれど、同じような価値観や悩み、葛藤を抱えるときもあったりして、なんというか「なるべく良い方へ行けたらいいね」という祈りのような時間を夕日と共に過ごす。 どんな出来事があっても、彼女とあーだこーだ言いながら年末のサンセットを見送れば「良い年だった!」ってことになる。 気仙沼の美しい景色と、軽やかな彼女によって。 終わりよければすべてよし!なのだ。 そうして、新年になったらそれぞれにサンライズを迎える。 それぞれの船で、また日々という海にでる。「お互い楽しくやってこ~!」と。できるだけ、光の方へ。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編1 【望郷】ぼう-きょう 慕い、遠く思いをはせること。
いつでも「おかえり」と迎え入れてくれる。 「また来てね」と送り出してくれる。 気仙沼は、私の人生において波止場みたいな場所だ。 いつの間に抱えた荷を降ろして、エネルギーをたくさん貰って、のびやかな気持ちでまた航海に出るための。 そんな場所で過ごす時間は当たり前の日常で、フツーで、それでいて特別。 今回は望郷編。 気仙沼から離れて暮らすとある誰かの、故郷で過ごす愛おしい時間について、写真と文章で紡ぎます。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム #7 親子で地方に移住するってどんな感じ?
今回親子おためし移住を体験したSさんファミリーは、首都圏の4人家族。としきさん、みきさんと3歳の息子さん、0歳の娘さん。としきさんは人材総合サービス会社に勤務し、週1は出社、それ以外はテレワーク。みきさんは現在育休中で、長期間滞在できるこのタイミングで、10月半ば〜11月初めの2週間、気仙沼に滞在しました。 ー親子おためし移住を利用したきっかけは? (としきさん)家族が増えてこれから住む場所を考え始めていた時に、気仙沼親子おためし移住を体験した友人にこのプログラムを教えてもらったことがきっかけです。ほかの地方移住体験もしていたのですが、気仙沼は学生時代に何度も足を運んだ好きな場所なので、縁を感じました。 ー気仙沼に来る前に不安はありましたか? (としきさん)行くのをとても楽しみにしていたので、あんまりなかったですね。あるとしたら、住んでいるところから距離があるので移動手段について家族で相談しました。車で行くか、新幹線で行ってレンタカーを借りるか悩んだのですが、0歳の娘は長時間車に乗っていられないので、結局は僕が自家用車で、妻と子どもたちは新幹線で二手に分かれて移動することにしました。 ー気仙沼での滞在ではどんなことをしましたか? (としきさん)たくさんの地域の方に出会いましたね。MINATO(気仙沼市移住・定住支援センター)のスタッフの方に移住者の人たちを紹介してもらったり、その人たちと一緒にランチしたり、バーベキューにも誘ってもらったり。それから、大学生の時に震災ボランティアで気仙沼に来た時に知り合った人と久しぶりに再会したりして。本当にたくさんの人に会えました。あとは、唐桑地区にある戸建ての住宅で暮らしていたんですが、近所のおばあちゃんからカツオをいただいたり、新鮮なお魚や野菜をいただいたり。気仙沼の食もたくさん楽しみました。 伝承館(気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 @kesennuma_memorial )にも行かせてもらいました。息子は津波のことを詳しく知らなかったんですけど、小さいながらいろんなことを感じていました。親としても、このまちで起きたことを学べたのは大きかったなと思います。 (みきさん)こうしてご縁をいただいたからには、ちゃんと知っておきたいなと思っていたので、行くことができて良かったです。 Photo by Momoko Shida ー気仙沼で保育所に息子さんを預けてみて、どうでしたか? (みきさん)海が見える保育所で、景色がよくて庭も広くてとても素敵な場所でした。先生たちが本当に優しくて、穏やかな気持ちで送り迎えをしていました。もう、行くだけで気持ちが洗われるような感じで。唐桑保育所は「中遊びと外遊び、好きな方を選んでいいよ」っていうスタンスでした。子どもを主体とした遊びをさせてもらえているんだなと思って、とても有り難かったです。 ー息子さんの反応はどうでしたか? 本当に楽しく通っていました。朝送る時も「早く帰っていいよ」って言われるほど(笑)一日も休まず通うことが出来ました。 ー気仙沼で一番思い出に残ったことは? (としきさん)息子が家族以外の大人に遊んでもらっていたり、気仙沼の子たちと一緒に遊んでいる風景がすごく印象に残っています。 ぼんやりとですが「こうありたいな」という子育てのイメージがあって。自分たちだけで子育てをするのではなく、いろんな人と触れ合ったり、その中で新しい気づきがあったり「みんなで子育てし合う」ようなことができたらいいなと思っていたんです。 もちろん都会にいても実現できることだと思うんですが、気仙沼はとにかく人との垣根が低いんですよね。子どもたち同士で遊んだり、一緒にご飯をつくって子どもたちと食べたり、一緒にお風呂に入れたり。それから、子どもたちで遊んでいる時に注意しなきゃいけない時「おもちゃを取っちゃ駄目だよ」と注意をしてくれたり。自分たちだけじゃなく、みんなでみんなの子を大事に育てる感じ。家族同士が隔たりなく交流して子育てできるような環境を気仙沼で2週間体験できたのはとても良かったですね。 Photo by Yui Sugawara Photo by Kohei Shikama ー気仙沼で一番思い出に残ったことは? (みきさん)お母さんたちが、「自分たちでまちを良くしよう」と活動している姿がすごく印象的でした。 民間で運営している親子の居場所「わくわくけせんぬま ( @wakuwaku.kesennuma )」に行ったのですが、温かい飲み物が置いてあったり、「いつでも持って行っていいよ」と洋服のお下がりコーナーがあったり。痒いところまで手が届くような素敵な取り組みをされていて、印象的でしたね。 あとは、一時預かり専門託児所の「Omusubi( @omusubi_kesennuma )」 は生後2ヶ月の赤ちゃんから一時預かりができて、しかもそれが無料。(※1)それを活用してお母さんたちが仕事や学びの時間に充てている姿を目の当たりにして、「いつでも無料で子どもを預かってくれるってなんてありがたいの!」って思いました。これはもう、全国のお母さんたちにアピールしたいですね。うらやましいですし、なかなかほかにもないんじゃないかなって思います。 ー不便だったり、大変だったこともお聞きしたいです。 (としきさん)移動手段が車1本に絞られてしまうので、都会と比べるとどうしてもそこは気になるポイントでした。運転に慣れていないと大変だなと思うことがあるかもしれません。 (みきさん)あと、地元の方に「病院事情を知っといた方がいいよ」と聞いて。2週間の間に子どもが少し体調を崩して病院に行くタイミングがあったのですが、混んでいましたね。私たちは1時間ぐらいで通してもらえたのでそこまでではなかったんですけど、「数時間待つこともある」と聞いたのはちょっとびっくりしました。そこは心構えがあると良いかもしれません。 ※1…※気仙沼市に住む第2子以降(0~2歳)は自己負担なしで託児が利用可能。(条件あり) ー今回気仙沼に滞在してみて、変化した考え方はありましたか。 (としきさん)来る前は正直、「地域の人とたくさん関わって、また来れる場所になったらいいな」くらいの感覚でした。滞在してみたら「ここに住むのもいいかもな」って思うようになりました。買い物とか土日の過ごし方とかを実際にやってみて、移住後の生活がリアルにイメージできました。 あと、災害のリスクについてはちゃんと知りたいなと思っていたんです。もともとは、なるべくリスクの少ないエリアに住もうという考え方でした。ただ、気仙沼に来てからは、リスクを避けるだけでなく、、向き合う方も大切だと感じました。今や「ここにいたら絶対に災害は起きない」という場所ってあまりないと思うし、「ここなら大丈夫」と高をくくっていると、いざという時に知識がなく身を守れない。「過去を学び有事に備える」という視点は大事だなと思うようになりました。 ー気仙沼親子おためし移住に興味を持ってきてくださる方に、ひとことお願いします。 (みきさん)私は子育て支援が充実しているのを実感したので、これから来る方には子育て支援施設に子どもを預けて自分の時間をとって、地域のお母さんたちと触れ合う時間をつくるのをおすすめします! (としきさん)気仙沼の方は、心が開いている感じがするんですよね。人を受け入れる器が大きいというか。オープンなので行く人も変に壁を作らずに、オープンにした方が良い出会いがあると思います。やって良かったのは、「お試し移住で来ました」と積極的に伝えること。会話が広がるきっかけになりますし、地域の人たちがいろんなことをお話ししてくれてこのまちの良さをより知ることができるんじゃないかなと思うので、ぜひこの言葉を使ってほしいです。 それから、地元の方も移住した方も、このまちをより良くできないかと一人ひとりが考えているので、いろんな活動が生まれています。自分のやりたいことに向き合って挑戦している人たちがたくさんいるので、それをぜひ現地で実感してほしいですね。 親子で地方に移住する。 それは家族のことや子どもたちのことをたくさん考えた先で「こうしたら自分たちが豊かだと思える生き方に近づけるんじゃないか」と思った時の、行動の選択肢の一つなのだと思う。 ためしにいつもと違うまちで暮らしてみたら、暮らしをより豊かにするきっかけが見つかるかもしれない。 *** 親子おためし移住のことをもっと詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください! https://turns.jp/107112 お申し込みについてはこちら https://www.minato-kesennuma.com/kesennuma/16480/
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コラム#旅人編1-6 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている このまちでは、広い海が私たちの心を大きくさせ、行き来する船が私たちの夢を大きくさせるのかも。 海を、港を、眺めているとそうやって思った。 どこまでも続く海を見ていると、狭い心でものごとを考えていても仕方ないと思う。 大きな船に乗り込んで海に出ていく人を見ると、夢は大きくていいと思う。 私たちは“ちっぽけ”なんかじゃないよ、と言われているような気がした。 気仙沼を歩いてみたら沢山の発見があった。祈りが根付いていて、たくさんの人や物が海を介して行き来している。 この海で、世界とつながっている。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-5 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 内湾のシンボルスポットだという「神明崎(しんめいざき)」に足をのばす。 きらきらと光る海面に見とれていたら、福がある顔をした恵比寿さまに出会う。 いつも座っている恵比寿さまが海に向かって勇ましく立ち上がっている!全国でも珍しい「立ち恵比寿」なのだというから驚いた。 —- 大漁と航海安全は気仙沼市民の絶えざる祈りである どこかに記してあったこの言葉が思い出される。 そういえば、安波山の名前の由来も、海のそばにある神社さんも「大漁祈願・航海安全」を祈ってのことらしい。 まちのいたるところで見かける鮮やかな大漁旗も、夏の一大イベントであるみなとまつりも。 何をするにも、今日も明日も、大漁祈願・航海安全。 そんな絶えざる祈りが、恵比寿さまを立ち上がらせちゃっているのかもしれない。 今日はひとりの旅人として、ここ気仙沼から世界の海へ大漁祈願と航海安全を祈らせていただきます。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-4 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 世界とつながっている、と感じられる場所は気仙沼にたくさんあるけれど、魚市場のすぐ裏にある「みしおね横丁」にある「ワルーンマハール」もそういう場所のひとつだ。 お店のすぐ向かいには、ムスリムの彼らが礼拝をするための小さなモスクもあるみたい。 いま、気仙沼船籍の船には多くのインドネシア船員がいるという。そんな彼らの写真がぎゅうぎゅうに貼られたボードから、この場所に刻まれてきた思い出を想う。 異国で暮らしていて、大変なことはなかったかな?漁師として成長できた? いまはもう海の先のインドネシアに帰っていった人もいるのかな、元気にしているかな。 およそ5000kmも離れている海のその先へ、思わず語りかけたくなるようなランチタイムだった。 「ミーゴレン」は日本でいう焼きそばみたいな感じで美味しかったな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-3 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼港を歩いてみると、白い船たちが並んでいる景色がとても眩しい。風の強い日が続いていたので、大きな船もたくさん停泊していた。 船の中にも漁師さんらしき人がいて、次の出港に備えていろいろ準備しているみたい。 車もよく行き来していて、運転席から顔を出してちょっとした会話に花も咲く様子。 そういえば、どの船にも渡し橋がある。こんなに細い、はしごみたいな道から広い広い海に出ていくんだな〜と、驚きつつ途方に暮れた。 この橋が、陸(おか)と海をつなぐ道。ここから世界の海へ。ここを歩く漁師さんたちの背中を想像して、少し見上げるように写真を撮る。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-2 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼湾を一望できると聞いて、安波山に登る。よく晴れた日で本当に気持ちがいい。 駐車場から遊歩道へ向かうと、貝殻やビー玉で飾られたエリアがある。タイルで作った文字が「1990年」と言ってるってことは、これ1990年に作られたってこと?と予想する。 そのなかの一つに「オーストラリア△」という方角を示すものが残っていた。このまま海をすすんでいけば、オーストラリアまで行けちゃうなんて。急にスケール感が大きい。 日焼けしてしまって、何が書いてあったかもわからなくなった謎の円盤もある。 この謎の円盤には何が記されていたんだろう。「オーストラリア」が残っているなら「アメリカ」かな「ハワイ」かな。「パリ」や「ローマ」かもしれない。 さっきの円盤に何が書いてあったか知っている人、この世界のどこかにいるかな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-12 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 気仙沼はこの13年で、 まちも、人も、ものすごく変化してきた。 東日本大震災をきっかけに 移住したり、関わりを持ったりした人がたくさんいて、 そのご縁は今でもずっと続いている。 だから、絶対まちは良くなる。 そこから生まれるものだって、たくさんある。 大丈夫だ。 無責任な言葉に聞こえるかもしれないけれど、 気仙沼からだから届く言葉だと思う。 大丈夫。 明るい方に、歩いていこう。 photo by kohei shikama ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから