「コラム9」に
関する記事一覧
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コラム#望郷編9 「いつか、海と暮らすなら」
転職の機会にUターンを考えていた頃 「地元が好きだから、気仙沼のために何かできたら!と思う気持ちは素敵だけど、何もしなくたって帰ってきていいんだよ」 と言われ、知らないうちに肩に力が入っていたなぁと気づいた。地方創生とか復興のその先とか、そういうことを掲げるよりもっと素直でシンプルな 「好きだなぁ」とか「居心地いいなぁ」と思う気持ち。 その逆で、”今は住んでいない”、その距離感だからこそ気付けたり大切にできたりすることもあるということ。 どこにいても、ここが私の帰る場所で、想う場所であることはこれからもきっと変わらないんだ。 生活する、たまに訪れる、遊びに行く、見守る、或いは、思いを馳せる...そういう、ほどけたりむすばったりの”柔らかく繋がる”という選択肢。 その地にいても、いなくても、心のよりどころとして思いをはせる町があることの豊かさを、その時とても嬉しく思った。 いつでも「おかえり」と迎え入れてくれる場所がある。わたしも誰かを「おかえり」と迎える日が、訪れるような気がしてる。 いつか、きっと、海と暮らす。 いまも、海と、つながっている。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編8 都会、田舎、ユートピア
都会も、田舎も、それぞれに良し悪しがあると思う。 社会、自然、文化...人によって豊かさのバランスは違って、選択肢はどちらかじゃなく無数にある。 自分らしい暮らしとは何だろう? それを見つけるなら「これが幸せだな」とふと感じる瞬間を大事にすることがはじめの一歩かもしれないと最近思っている。 小さな気づきを積み重ねながら、自分なりのユートピアを求め、作っていけばいい。それは一つの場所に固定されるものでもないし、生き方や心のありようで形を変えることもある。 私の生活は、私が作り上げていくもので。 そして同時に、私の生活が、私を作り上げていくものなのだ。 人からどう思われようと「おかまいねぐ~!」でいい(そう割り切るのは結構難しかったりするけどさ!)。 ゆっくり時間をかけて(人生長いからね!)つくっていけたらいいな。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編7 ”はまらいん”マインドについて
やりたいことを話した時に「やってみたらいいじゃ~ん!」と背中を押してもらえるどころか 「場所貸せるよ」「ここに行ったらいいよ」「この人会ってみたら」「一緒にやってみる?」と、あれよあれよと話が進むまち、気仙沼。 例えば...年末の断捨離物をどうにかしたいと話すと、場所貸すからガレージセールやってみる? とあっという間に開催が決定するとか、このテーマについて語りたい!という呼びかけをする人と、 それに対して入口に靴があふれて重なるほど集まってくれる人がいるとか。 気仙沼には『はまらいん』という方言があって、一緒にやろうとかおいでよみたいな意味があるのだけど、 そういう”ありのまま、好きなことを好きなだけ一緒にやりましょ!”という温かさを感じる機会がとても多い。 『はまらいんマインド』だなぁと思う。 この前の帰省でくるくる喫茶さんへ行った時もそのマインドを強く感じた。 3日間連続でイベントを開催していたんだけど、毎日料理を提供する人やメニューが違って、夜はライブ会場、昼はポケカ対戦会場になって、 その隣では気仙沼に所縁のあるクリエイターたちが制作したZINEの販売会も行われていて、かつ店内はDJ会場にもなっていた。 老若男女、文化もそれぞれなのに、同じ場所で一緒にまちで遊ぶことを楽しんでいる。 誰もがやりたいようにやっていたあの時間はたぶん『はまらいんマインド』の究極形態。 気仙沼がおもしろいまちである理由はこのマインドなのかもしれない。 text by michiru (@65niti ) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100 ) direction by sasawoka (@sasawoka_works ) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編6 ”いつものご飯”は、ごちそう
じーちゃんは、私が帰省する情報が入ると市場までマイカーを飛ばす。 そして、メカジキやらカツオやらをまるごと買ってきて台所で丁寧に捌いて刺身や煮付けや照り焼きなどたくさんのごちそうを作ってくれる。 外食でも「こんな豪華な刺し盛りがこのお値段...?」とか、おすそ分けでカツオ1本どーぞ!とか。とにかくいちいち食に感動してしまう。 『サンセット・サンライズ』の映画で、とにかく三陸の食はおいしい!と描かれていたが、あれは大袈裟じゃない。 この町のいつものご飯は、ごちそうなのだ。 気仙沼の豊かな自然環境はもちろんだけど...なんというか、食すに至るまでに関わる人々の気前の良さとか、映画のセリフを引用すると「おもてなしハラスメント」みたいなところがあるからこそなんだなって思ったり。 恵みを、気持ちを、いつもありがとう! text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編5 ハッシュタグ「#今日の岩井崎」とは
気仙沼に長期帰省していた友人がある日「#今日の岩井崎」とタグをつけてストーリーを更新した。 岩井崎で撮影した龍の松と潮吹岩の写真。「ほう...」と思ってみていたら翌日もまた「#今日の岩井崎」が更新された。 なんだか気になって連絡すると、どうやら岩井崎を出発地点として、ぐるっと海岸沿いの防波堤の上を3kmほど離れた大谷の防波堤端までウォーキングしているらしい。 定期的に更新されるそれが面白くて「今日は手前で撮ってるな」とか「今日の雲キレイ~!」とかつい反応していた。 彼が投稿をお休みした日には「うわぁー!今日の岩井崎が~!」と残念がる私へ「岩井崎中毒者増えてる笑」と返信がきた。 どうやら他の友人たちも「#今日の岩井崎」が気になっていたようで、かなりの連絡がきたらしい。 もはやインフルエンサーじゃん。 ある日「今度帰ったら一緒に今日の岩井崎やりたい」と連絡した。 二人でぽつぽつと話しながら歩く。画像では分からない海の香りに気づく。 日々の、言葉にできないざらついた何かが、海風に撫でられ不思議と軽くなっていく気がする。”近所にある観光地”なんて思っていたけれど、きれいで、ささやかで、穏やかで。 それ以来、帰省の時は”岩井崎を淡々と歩く”というのがお気に入りになった。 彼のダイエットがてらにはじめた投稿は、私たちの生活の範囲でごく小さなムーブメントを起こした。 こういう、ちょっとしたクリエイションが、暮らしを楽しむきっかけになるのかも。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編4 「むしろ元気をもらったよ」
気仙沼に住んでいる姉から「朝市やるみたいだから行ってみない?」と誘われたある日の帰省。 石川県輪島市で震災前から(調べるとなんと1400年も!)続いてきた「輪島朝市」が、気仙沼つばき会との縁で出張朝市をするらしい。 その日はあいにく大粒のみぞれ雪だったけど、天候を物ともしない活気が会場を包んでいた。 イメージカラーだという明るいオレンジの上着を着た女性たちの張りのある声が響き、テントの中は人がたくさん。 何かの商品が売り切れると、「完売で~~す!」という声と共に、あちこちから拍手の音が響く。 自分のお店でも、そうでなくても。なんだかとても気分が良い。 カラッとした勢いと笑顔は、気仙沼の人々と似ていた。 きっとそれは、人に届くものであり、それを発する自分自身にも届くものなのだと感じた。 「元気にやっているよ!」と「元気にやってかなきゃね!」という、自身の背中を押すおまじないのような心意気。 過去を抱きしめながら、いまを愛おしみ、未来を祈る人のそれ。 開始1時間でほとんどの商品が完売したようで、かくいう私たちも干物やあおさ、塩、手ぬぐいなど気付けば結構買っていた。 ただ、購入品云々よりもむしろこちら側がエネルギーをかなりもらったような気がした。 東日本大震災以降、気仙沼に支援しに来てくれた沢山の人たちが「むしろこっちが元気をもらったよ」と言っていた意味が、なんとなく分かった。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編3 気仙沼の夜、何してる?
気仙沼の星空がきれいだと知ったのは、数年前に仙台で暮らしていた時、カメラが趣味の友人が教えてくれたことがきっかけだった。 聞いた時はかなり驚いたけれど、改めて意識して眺めてみれば確かに満天の星空で。空一面遮るものなく、小さな遠くの星まで見えた。 「気仙沼の夜って何したらいいんだろうね~~」 なんてたまに言われるけれど、そういう当たり前すぎて気づかなかったことを偶然見つけたり探しにいくのも面白いんじゃないかな、と思ったり。 この前偶然発見したのは、夜の気嵐。 朝日に照らされているイメージが強くて瞬時に結び付かなかった、小鯖漁港の海面に立ち上がる湯気のような霧。 友人は「あぁ、気嵐だよ。実は夜もあるんだよね」と教えてくれた。 気仙沼生まれ気仙沼育ち気仙沼Loverな私も、27年目にして初めて知ることがある。 また別の日、東京から帰省していた友達とライトアップされた神明崎を散歩していたら、道にヒトデがドーンと落ちていた。 私は「ヒトデだな...」としか思わなかったけれど、友達は笑いながらそのヒトデをパシャリと撮った。 「なんで道にヒトデ?!どっから?違和感~!なんだこれ笑」と。確かに。 帰省する度、人と触れ合って、いろんなところにいって。 見つけたり気付かされたりしながら、はじめましての気仙沼を楽しんでいる。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編2 サンセット・サンライズ帰省
いつからだろう。 年末年始の帰省タイミングが合った時は、20年来の幼馴染と二人だけでサンセット(日の入り)を見に行くのが恒例になった。 これまで岩井崎・大島・大谷...様々な場所へ日の入りを見に行ったけれど、どのサンセットも美しくて。 二人で写真を撮ったり貝を拾ったりしながら1年の出来事をあれやこれやと振り返る。 「去年はこういってたもんね」と、自分自身でもわからない変化に気づいてくれたり。 宮城と東京で住む場所もやっていることも全く違うけれど、同じような価値観や悩み、葛藤を抱えるときもあったりして、なんというか「なるべく良い方へ行けたらいいね」という祈りのような時間を夕日と共に過ごす。 どんな出来事があっても、彼女とあーだこーだ言いながら年末のサンセットを見送れば「良い年だった!」ってことになる。 気仙沼の美しい景色と、軽やかな彼女によって。 終わりよければすべてよし!なのだ。 そうして、新年になったらそれぞれにサンライズを迎える。 それぞれの船で、また日々という海にでる。「お互い楽しくやってこ~!」と。できるだけ、光の方へ。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#望郷編1 【望郷】ぼう-きょう 慕い、遠く思いをはせること。
いつでも「おかえり」と迎え入れてくれる。 「また来てね」と送り出してくれる。 気仙沼は、私の人生において波止場みたいな場所だ。 いつの間に抱えた荷を降ろして、エネルギーをたくさん貰って、のびやかな気持ちでまた航海に出るための。 そんな場所で過ごす時間は当たり前の日常で、フツーで、それでいて特別。 今回は望郷編。 気仙沼から離れて暮らすとある誰かの、故郷で過ごす愛おしい時間について、写真と文章で紡ぎます。 text by michiru (@65niti) photo by 気仙沼百景 (@kesennuma100) direction by sasawoka (@sasawoka_works) ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから