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コラム#3-2 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 気仙沼の八日町のまちかどにある「くるくる喫茶」。 @kuru2utsumi 木製の看板には「コーヒー、wi-fi、軽食、電源、その他」の文字。仕事をしたりゆっくりコーヒーを飲んだり、おしゃべりしたりできる喫茶店だ。若い移住者から地元のおじいちゃんおばあちゃんまで、いろんな人がここに集まる。みんなから親しみを込めて「くる喫(きつ)」と呼ばれている。 気仙沼の老舗菓子店だった建物を、店主の吉川晃司さんがリノベーションしてこのお店をつくった。ちなみに名前の読み方は「よしかわ」さんだ。初めて会った人によく「えっ、あの人と同じ名前?」とつっこまれるらしい。 くる喫ではよくイベントが開催されていて、空間の表情がくるくると変わる。 インドネシアから気仙沼に来て働いている技能実習生たちと繋がる1日カフェをやったり、アート展示の会期を設けたり、弾き語りライブをしたり。吉川さんが好きなもの・こと・ひとを介して多様な人が集い、それぞれ自分の「好き」を楽しむ場所になっている。 そんな空間に2022年の冬に現れたのが「くるくるの棚」。 置かれているのは食器や花器、本や小物など。地域の人たちがいらなくなったものを持ち寄ったものだ。これらは、一筆書けば全て持っていって良いものだという。 誰かがいらなくなったものが、誰かにとっての欲しいものになる。 誰かから誰かへ渡る価値の循環がこの棚から生まれている。 毎日ものすごいスピードで大量の新しいモノが生産され消費されているけれど、「あるもの」の価値を信じる人が増えたら、 世界は地球にも人にも優しく変われるんじゃないか、と思う。 (ちなみに、自由気ままに新しいことを楽しむお店なので、訪れた時には空間が変化しているかもしれない!それもお楽しみに) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#3-3 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? くるくる喫茶の向かいに、もともと酒屋さんだった建物がある。窓ガラスには「お直し考」と書かれている。2023年3月、この場所で開催されたイベントに参加した時に初めて知った言葉だった。 例えば靴下に穴が空いてしまった時、捨ててしまうのではなく自分の好きな色の糸で縫って穴を塞ぎ、お直しして靴下の寿命を伸ばす。 例えば自分が使わなくなった食器や本、子育てグッズなどを蚤の市などに出して今必要とする人に提供する。 いらなくなったら捨てて新しいものを買うのが当たり前になっているけれど、その「いらないもの」は誰かにとっては価値のあるものかもしれないし、ひと工夫で新しい使い方ができるかもしれない。 今あるものの価値を見つめてみる。消費ではなく、創造する。手間をかけるから、愛着が湧く。そしてまた誰かがその価値を見つめて、活かす。その循環を生むのが「お直し考」だと、私は受け取った。 イベントが終わった後、ここもくるくるの棚になった。窓際には誰かが持ち込んだ食器や小物が並んでいる。良い出会いがあれば、誰でも持って行って良い。 並んだ食器たちの中で、一つの灰皿が目に止まる。昔の飲み屋さんで使われていたであろう青いプラスチックの灰皿。レトロなロゴが可愛らしくて、持ち帰ることにした。今、部屋でアクセサリートレーとして使っている。 ものを大切にするための、価値のバトンパス。 これが広がったらいいなと、日に照らされた食器たちを眺めながら思った。 (前の投稿にもあるように、自由気ままに新しいことを楽しむお店なので、訪れた時にはまた新しいことが起こっているかも。それは今後のお楽しみ。) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#3-1 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 「持続可能」とはよく聞く言葉だけれど、なんだか壮大で、考えるのをやめてしまう自分がいた。 自然環境に優しいことをしたいし、 人間以外の生き物にも健やかであってほしい。 そんな思いを持ちながら、忙しない日々に流されていく自分。 正直、目の前のことで精いっぱいだ。 でも、このまま「あ〜何にも地球に良いことできてない」と思い続けるのはごめんだ。 できるだけ楽しく、地球に良いことをしたい。 楽しい方が、続けられる気がするから。 じゃあ私にできることって、何だろう? マイボトルやエコバッグを持ったり、 ゴミ拾いをしてみたり、移動手段を公共交通機関にしたり。 自分なりにやってみているけれど、 もっとできることはないだろうか。 そのヒントをもらいに、気仙沼にいる人たちに 話を聞いてみることにした。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#2-6 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 「せっかくだから、もう少し遠くまで行ってみっか」と、 やっくんは漁港からどんどん離れるように船を進めた。 乗せてもらった船にはお立ち台のようなスペースがあり、ここは何に使うのかと尋ねると、「船に乗せた人が、ここに乗ったら景色良くて楽しいでしょ。だからつけたんだ」と言う。 やっくんは、人を喜ばせるのがうんと好きなのだ。 ブオオオとスピードを上げて進む船。 後ろを振り返ると、さっきまでいた作業場が小さくなっていく。 風を切る。跳ねる波飛沫を見つめる。景色がどんどん変わっていく。海の上は、こんなにも気持ちがいいのか。 大島と気仙沼市内をつなぐ鶴亀大橋が近づいてくる。 初めて下から見上げた橋は、やけに堂々としているように見えた。 橋をくぐる瞬間、遊園地に来た子どものようにはしゃいでしまった。 港に帰ってくる頃には、胸がこれでもかというほどいっぱいになっていた。 私は海の上が好きなのかもしれない。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#2-5 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 知人の紹介で、牡蠣養殖の漁師さんに会いに行った。 みんなから「やっくん」と呼ばれていて、代々この土地で続く牡蠣漁師。 私が「今日は〇〇さんに紹介してもらって来ました」と話すと 「おー、〇〇の頼みなら仕方ねぇなぁ」と嬉しそうに笑った。 なんと特別に船まで出してくれて、養殖場を案内してくれることに。 「穏やかな湾内で育ててから少し波のある場所に移動する。そうすると身が引き締まった立派な牡蠣が育つ。もまれ牡蠣っていうんだけど。全部場所変えてやるのは手間だし大変だよ。でも、やるんだ」 ゆらゆらと海面に揺れる、丸太に吊るされた牡蠣たち。 やっくんが自然の力を信じて少しだけ手をかけることで牡蠣はすくすくと育っていく。 見せてくれた牡蠣は輝いていて、とても美味しそうだった。 この海が、ここまで育てるのだ。自然の力は想像を超える。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#2-4 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 白くひかる祈りの帆が、静かにまちを見渡している。 気仙沼市復興祈念公園。 市内のあちこちから、この帆が見えるようになっている。 2011年3月。東日本大震災が発生し、避難所となっていた体育館で行われた卒業式で代表生徒が読んだ答辞が言葉が、今も記憶に残っている。 「天を恨まず、運命に耐え、 助け合って生きていくことが、 これからの私たちの使命です」 10年以上経ってこの言葉に再び出会った時、 このまちの人たちは「運命に耐える」より「運命を変えてやる」くらいの気持ちで今日までやってきたんじゃないか、と勝手ながら思った。 「耐える」という言葉が、なんだか似合わない気がしたのだ。 私が知っている気仙沼は、もっと主体的で、能動的で、「自分たちのことは自分たちでやっていく」という意志に溢れているから。 気仙沼市の復興スローガンは「海と生きる」。 海は時に人にとっての脅威となる。それは忘れてはいけない。 ここに生きる人たちの根底には、海に生かされてきた感謝がある。海と一緒にまちをつくってきた歴史がある。 だから、海と生きる。そう自分たちで決めてきたんじゃないだろうか。 2023年。公園からは 海と、 市場と、 漁船と、 気仙沼のまちが見えた。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#2-3 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 鶴亀食堂ではその日市場にあがった新鮮な魚を食べることができる。 あったかいご飯と味噌汁、小鉢に漬物。 朝ごはんにここで定食を食べると、体の芯からエネルギーが湧いてくる。 漁師さん以外にも、鶴亀ファンは多い。私もそのうちの一人だ。 ごはんが美味しいのはもちろん、スタッフのみなさんが活発で、漁師さんたちと仲が良くて、その雰囲気の中にいるとパワーチャージできる気がするからだ。 一人で来た時には、カウンターに貼ってある鶴亀通信を読む。 何気ない日常や、離れていた間に起こった最近の気仙沼のことなどが書かれている。 必ず「漁師の皆さん、おつかれさまです!」とメッセージが書いてあって、これを読んだ漁師さんは嬉しいだろうなぁと思いはせる。 壁にかけられた手拭い。 行ってらっしゃーい!の元気な声。 「今日はどうでした?」と弾む会話。 鶴亀食堂は、漁師さんへのリスペクトで溢れている。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#2-1 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 魚市場が好きだ。 これまで魚市場とは無縁の人生だったけど、 気仙沼に来てから用事があるわけでもないのによく行っている。専用の見学通路があり、誰でもその様子を見ることができる。普段、意外とお目にかかれない漁師さんも。 魚市場は朝が良い。 カツオがザバーっと船から水揚げされ、専用のレーンを通り大きさによって振り分けられていく。 市場中をフォークリフトが行き交う。かなり手慣れた操縦だ。気仙沼の魚市場は競りではなく入札によって魚を買い付けるので、大勢がパネルの前に集まって、入札結果を待つ。 ここでしか味わうことのない独特の緊張感がある。 魚市場は気仙沼の中心だ。まちの脈が動いているのを感じられる。ここにくると「今日も一日頑張ろう」と元気が湧いてくる。 「いつもありがとうございます、おつかれさまです!」と、見学通路から水揚げを眺めながら、心でつぶやく。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#2-2 海のまちで暮らすということ
海のまちで暮らすということ 「いらっしゃーい!」と店内に響く元気な声。 「鶴亀食堂」は、ひと言で言うと漁師さんのための食堂だ。漁師さんたちを応援し、入港を歓迎する店。 朝7:00から店を開けていて、市場直送の新鮮な魚が食べられる。 隣には漁師さんたちが船旅の疲れを癒す「鶴亀の湯」があり、全国各地から漁師さんがやってくる。 9時すぎに朝ごはんを食べにいくと、カウンターに若い漁師さんが二人並んで黙々とご飯を食べていた。 時折、店長のひろなさんと楽しそうに話している。何度かお店に来ているようで、仲が良いみたいだ。 このまちにいる若者とは雰囲気が違う気がして話しかけてみると、彼らは高知県からカツオの水揚げにやってきたらしい。 二人は先輩と後輩の関係だという。 ご飯を食べ終えて「また来るわ!」と出ていく二人。 高知と気仙沼って、陸地で行ったら1300kmくらいある。 ものすごく遠い距離のはずだ。 でも、あんまりに彼が軽く言うものだから、実はそんなに遠くないんじゃないかとも思った。 1300km離れた港に帰ってくる場所があるというのは、どういう感覚なのだろうか。 漁師さんって、スケールがでっかいなぁ。 自分の世界も広げてもらったような感覚を味わいながら、再びごはんを食べた。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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【記事】「いつか気仙沼に帰りたい」3年悩んでUターンを決めたゆうすけさんの生き方
photo by Yusuke Takahashi 気仙沼に帰ってきて、暮らすこと。 進学と就職のために一度は気仙沼を離れたけど、13年の月日を経て、地元気仙沼に帰ってきて暮らすことを選んだゆうすけさん。気仙沼でのゆうすけさんの暮らしは、なんだかとても楽しそう。 「自分の好きなことをやる」ということを大切にしていて、お休みの日はキャンプや釣り、登山に行き、畑で野菜を育てたり、漁師の親戚のお手伝いをしたり、友だちを誘って星空を見たり……。気仙沼の自然をフルに満喫している。 高校卒業後に大学進学を機に地元を離れ関東で13年間を過ごしたゆうすけさんは「もともと、都会に住み続けたいとは思っていなかった」と話す。 本当は、大学卒業後には気仙沼に帰って働きたい。そう思っていた中で、大学1年生の時、東日本大震災が発生。帰れる状況ではなかった。 「いつかは気仙沼に帰りたい」という気持ちを持ったまま、短期大学卒業後も関東での暮らしを続けていた。 「20代は都会での暮らしを楽しんだけど、30代に入って仕事や生活のバランスを考えたときに、長い目で見たら田舎の方がいいなと思ったので、だんだん気仙沼に帰ってくる手段を考えはじめました」 photo & text by Hisako Miura ゆうすけさんが気仙沼に帰ってくるまで、2〜3年くらい時間がかかったそう。 「向こう(関東)にいたときは、一応大手の会社にいて。その会社を辞めて、気仙沼に帰って働こうと考えていたときに、周りから『お前、地元じゃなくて関東で生活した方がいい』って見方をされて。確かに関東と比べたら給与だってどうしても安いし、お店がたくさんあるわけでもないし。言ってることもわかる反面、逆にここに居続けて自分は満たされるのか?とも思った。そのバランスが難しくて。気仙沼で就職するにしても、調べてもピンとくる仕事が特にあるわけではなく。あとで後悔するのもいやだなっていう保守的な自分もいたりして、なかなか思い切れずにいたな」 周りに相談して「本当に帰っていいのか」という意見も聞く中で、「この場所にいて、自分は本当に満たされるか」という自問自答を繰り返す日々。 そんなとき、当時勤めていた会社で宮城の営業所への異動相談があり、ゆうすけさんは仕事を辞めずに踏みとどまることに。気仙沼に帰ることを、一度立ち止まった時期だった。 photo & text by Hisako Miura ゆうすけさんが気仙沼へ帰ることへの転機となったのは、コロナ禍。 コロナ禍で会社としての方針が変化したことで、あらためて気仙沼での仕事を探しはじめた。ご縁があったのは、アサヤ株式会社。漁業に関するさまざまな漁具を扱い、漁師の操業を支える老舗の会社だ。 アサヤでは「定置網部門」に配属になり、漁網を取り扱っているそう。 ゆうすけさんは親戚に漁師がいて、漁業の仕事をぼんやりとはイメージできるものの、漁具やロープの扱いははじめて。アサヤでの仕事を通して、はじめて「漁業」という仕事と向き合った。 「はじめてのことばかりなので、大変だなとは思うんですけど、どっちかっていうと楽しいですね。できないことはしょうがないって自分の中で割り切って、知らない世界を楽しみながらやってます」 photo by Yusuke Takahashi 都会は、なんでもある。田舎は、なんにもない。それって、本当にそうなのだろうか? 「都会で暮らすとなると、場所によっては釣りもキャンプも畑も、すぐ近くにはないことが多い。自分がやりたいことを叶えるのがなかなか難しかった。それが気仙沼だと、すぐ近くに海もあって、山もあって、釣りもできて、畑もあるという環境。ちょっと制約のあった関東での暮らしよりも、気仙沼での暮らしの方がのびのびとしている」とゆうすけさんは楽しそうに話す。 気仙沼での暮らしの大変なところを聞いてみたら、「それが案外ないんですよね〜」とのこと。 「田舎って、都会と比べて不便って思う人は多いと思うんですよね。でも、自分は不便と感じてない。なくてもどうにかなるもんだと思っているので。あったらいいけど、無いなら無いでって感覚。そんなに困らないんですよね。逆に、『関東にはなにがある?』と言われると、自分の中で『これがあるから関東っていいよね』というのが、ないかもしれない」 なんにもないどころか、ゆうすけさんにとっての気仙沼での暮らしはなんでもあって、やりたいことができていて満喫しているようだ。 都会に住んでいると、スーパーで買わないと得られなかった野菜。気仙沼に帰ってからはゆうすけさん自身が畑を借りてすこしずつ育てているそう。ゆうすけさんがやってみたかったことのひとつ。 「畑ではジャガイモ、ピーマン、ナス、オクラとかいろいろ育てていて、成長とか見ている過程で、『これってこうやってできているんだな』って結構テンション上がりますよね。『気仙沼はなにもない』と言いながら、そういうことに実際に触れて、なんでも自分でやってみるということがここではできる。季節や食を生活の中で感じられるって、自分はすごい良いことだなと思うので、そういうのも気仙沼に来てよかったと思うことのひとつですね」 以前までの暮らしではできていなかったことが、いまの暮らしではできている。「なにもない」かもしれないけど、自分がやりたいことを自分でつくって楽しめる「余白」がある。それは豊かなことなのかもしれない。 photo & text by Hisako Miura ゆうすけさんから関東や気仙沼での暮らし、仕事のお話しを聞きながら、悩んで立ち止まりながらも、自分自身の人生を生きる選択をしてきた人なんだなと感じた。 「最初は、失敗したらどうしようとか思っていた。転職活動のときに『気仙沼には仕事がない』『収入が減る』とか、そういうのを先に並べちゃったり、行けない理由をつくってる自分がいたんですよ。たらればを並べて。それで、できないようにしているのは自分自身じゃんって気づいて。でも、決め切ったときは『気仙沼でどう楽しもうか』ってすぐに切りかわった。年上の大人たちから『いまの仕事を辞めるのはもったいない』というのをたくさん言われたんですけど、『いや、俺の人生だもんね』って。後悔はないです。シンプルに、『本当は自分はどうしたいのか』っていうところが大事だなって思います」 photo by Yusuke Takahashi あとがき やったことがないことに飛び込むのは、最初は誰でも勇気がいること。 悩みながらも自分自身の気持ちに素直になり、「いつかは気仙沼に帰りたい」を実現させたことでつかんだ暮らし。 ゆうすけさんがいつも楽しそうなのは、ゆうすけさん自身が決めて選んだからこそ。これからも気仙沼での暮らしを全力で楽しんで、日々を過ごして行くんだろうなと思う。 「いつかは帰りたい」を実現させるにはちょっとハードルがあるかもしれないけど、ときどきは地元に帰って、家族や友だちに会って過ごして、地元の空気を感じて。 すこしずつ、すこしずつ、自分自身で「選択」をしていった先に、「いつかは帰りたい」を叶えるタイミングをつかむときがくる。 ゆうすけさんのお話しを聞きながら、そういうことを思ったのでした。
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コラム#1-5 自分にとって「豊かな暮らし」ってなんだろう。
自分にとって「豊かな暮らし」ってなんだろう。 まちで会うといつも「やっほー!」と明るく声をかけてくれるちはるさんと、魚市場の屋上で海を眺めながら話した。 2012年にUターンして、観光のプロモーションのお仕事をしているちはるさん。仕事以外でも「やりたい!」と思ったことを、仲間を集めてどんどん実行する人だ。 使われていなかった蔵で映画の上映会をしてみたり、 廃校の校舎を綺麗にしてクラフト市を開催したり、 ゲリラ的に路上で屋台を出してみたり。 まるで実験するみたいに、わくわくすることをやってみるのだ。 楽しそうなちはるさんの周りには、人が集まってくる。 ふと聞いてみたくなって、気仙沼で暮らしていて幸せだなって感じる瞬間はどんな時ですか?と聞いてみた。 「例えば、気仙沼に長く住んでいて毎日通っている場所でも綺麗だなって思う景色を見た時。そう思える瞬間が、すごく幸せだな。 あとは、まだ何も起こっていない場所に動きが生まれたり、人が集ったりする景色を見るのが好き。企画したイベントに来てくれたり、楽しそうに協力してくれたりする人たちとか、私の企画したものに限らず、頑張っている人たちの行動って、すごく美しく見える。 『このお刺身、美味しいから食べなよー』『ほんとだ、めっちゃ美味しい!』みたいな何気ないやり取りとかもそう。私の人生の喜びは、美しい景色を見ることにあるんだなって思う」 話を聞いていくうちに、そう感じられるちはるさんも、そんな景色の中にいるのだと思った。 じゃあ、私はどうだろう。 どんな時に幸せで、どんな暮らしをしていたら豊かだと言えるんだろう。 はっきりとした答えはすぐには見つからないけど、 気仙沼の海を眺めて、側に同じ時間を共有し語り合う人がいることの豊かさを、確かに感じていた。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#1-4 自分にとって「豊かな暮らし」ってなんだろう。
自分にとって「豊かな暮らし」ってなんだろう。 「自分が通いたいお店をつくろうって、思ったんです」 ここは日用品と喫茶のお店「ハチワレ堂」。 @8waredou オーナーのあやみさんが集めた、いつもの暮らしがうれしく、楽しくなるような一品に囲まれた空間だ。 お店に足を運ぶ度、何か自分にぴったりなものが見つかる予感がする。 あやみさんはいつも、商品をどんな風に使うのがいいか提案してくれる。 「私はこういうふうに使っていてね」と話を聞いていくうちに、自分の生活の中にこのお皿があったらどうだろう、と妄想が膨らむ。 その瞬間が、最高にときめくのだ。 商品に添えられている手書きのポップには、優しい字で説明と思いが綴られていて、いつも読み込んでしまう。 混んでいて話しかけづらい時にもものの良さを伝えられるようにと、あやみさんが言う。 こういうところが、私は好きだ。 「ここにいると、好きなものや趣味が合う人たちとの出会いがたくさんあって。このお店を続けてきたからこそだと思うし、それってとっても豊かだなぁって。見つけてくれてありがとうって思ってます」 ここに来れば暮らしを豊かにするものと、きっと出会える。 そのワクワクする気持ちは、あやみさんが正直に、自分の感覚を信じてつくってきたお店だから感じられるものなのだと思う。 今日はテイクアウトしたチャイミルクティーを手に少し立ち話。 帰り際、あやみさんが「またね〜」と柔らかく手を振る。「この店を出る時の私はいつもご機嫌だな」と気づいて頬が緩む帰り道。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから