「まちづくりライフ」に
関する記事一覧
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コラム#1-5 自分にとって「豊かな暮らし」ってなんだろう。
自分にとって「豊かな暮らし」ってなんだろう。 まちで会うといつも「やっほー!」と明るく声をかけてくれるちはるさんと、魚市場の屋上で海を眺めながら話した。 2012年にUターンして、観光のプロモーションのお仕事をしているちはるさん。仕事以外でも「やりたい!」と思ったことを、仲間を集めてどんどん実行する人だ。 使われていなかった蔵で映画の上映会をしてみたり、 廃校の校舎を綺麗にしてクラフト市を開催したり、 ゲリラ的に路上で屋台を出してみたり。 まるで実験するみたいに、わくわくすることをやってみるのだ。 楽しそうなちはるさんの周りには、人が集まってくる。 ふと聞いてみたくなって、気仙沼で暮らしていて幸せだなって感じる瞬間はどんな時ですか?と聞いてみた。 「例えば、気仙沼に長く住んでいて毎日通っている場所でも綺麗だなって思う景色を見た時。そう思える瞬間が、すごく幸せだな。 あとは、まだ何も起こっていない場所に動きが生まれたり、人が集ったりする景色を見るのが好き。企画したイベントに来てくれたり、楽しそうに協力してくれたりする人たちとか、私の企画したものに限らず、頑張っている人たちの行動って、すごく美しく見える。 『このお刺身、美味しいから食べなよー』『ほんとだ、めっちゃ美味しい!』みたいな何気ないやり取りとかもそう。私の人生の喜びは、美しい景色を見ることにあるんだなって思う」 話を聞いていくうちに、そう感じられるちはるさんも、そんな景色の中にいるのだと思った。 じゃあ、私はどうだろう。 どんな時に幸せで、どんな暮らしをしていたら豊かだと言えるんだろう。 はっきりとした答えはすぐには見つからないけど、 気仙沼の海を眺めて、側に同じ時間を共有し語り合う人がいることの豊かさを、確かに感じていた。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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【採用募集】企業から地方を元気に!経営相談所「気仙沼ビズ」エグゼクティブアシスタント兼事務局長募集!
ビジネスに興味関心の高い方、必見の求人です! 地域の事業者支援と経済活性化を目指し、令和3年5月に伴走型の経営相談所「気仙沼ビジネスサポートセンター」(通称:気仙沼ビズ)が開所されました。 気仙沼ビズは、さまざまな事業者の相談に対し、具体的な商品や広報戦略のアイデアを提示し、チラシやホームページ等の作成、販路開拓のつなぎ等まで実践的な支援を行う相談窓口です。 相談に対応する「センター長」の交代に伴い、2023年4月から一部のみの稼働でしたが、今秋、センターが本格再開します。 それに伴い、センター長の右腕となるエグゼクティブアシスタント・事務局長(兼務)を募集! 業務は、センター広報をはじめとする情報発信支援から予約受付、経理等の事務全般、センター長のサポートまで多岐にわたります。 ビジネスに興味があり、人をつなぎ、支えるのが好きな方、ぜひ詳細を見てみてくださいね! 【待遇など】 (1)給与 月額20~40万円。経験・能力に応じて評価※時間外手当あり (2)福利厚生 社会保険、労働保険完備、通勤・住宅手当支給(併せて月2万円まで) 【勤務時間など】 (1)時間…月曜~金曜 原則9:00~18:00(予定) (2)休日…週休二日制(土日)、祝日休み (3)休暇…年次有給休暇20日(就業後すぐ付与)慶弔休暇、夏季休暇等あり (4)勤務地…気仙沼市南町海岸1-11 まち・ひと・しごと交流プラザ1階 ※建物の2階にはコワーキングスペースや移住定住支援センターがあります。 ※立地は海の目の前!遊覧船などが発着する波止場にあります。オフィスからは海は見えませんが、オフィスを出てすぐ海があります。 【詳細はこちらから】https://smout.jp/plans/16673
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vol.36【気仙沼移住女子】ぺこちゃんの場合
〜ぺこちゃんの場合〜 「移住女子×編集者から着物屋さんへ」 今から数年前、東京の出版社で書籍の編集をしていました。 その中で、高橋和江というバイタリティあふれる凄い人が気仙沼市にいるというのを聞きつけて、彼女の本を出したいと思ったんです。そして高橋さんの最初の書籍を私が企画と編集をして、その後もやり取りが続いていました。 それから伊豆の両親を見送って編集の仕事も離れていた時に、有限会社たかはしの仕事に興味ないかと、タイミング良く声をかけてもらったんです。実家の家と土地を売って、2021年の12月21日に気仙沼にやってまいりました。 移住するまでの間も何回か気仙沼に遊びに来る中で、その時はまだ観光客であったのに「あなたお客さんで私達地元民です」っていう見えない線が全くなくて。皆さんの懐の深さが凄く素敵な場所だなと思うし、実際に移住してみてもその印象は変わらないです。 *ぺこちゃん *出身地 : 静岡県伊豆市 *仕事 : 有限会社たかはし/たかはしきもの工房 気仙沼は、何か、出会うべくして出会った場所かなと思っています。本当に図々しくてごめんなさいなんですけど、いるのが当たり前のように、今いるんですよね。 特に気仙沼は良い意味でほっとかないっていうか。私、親戚もいないし誰も血縁者がいない土地なのに、1人ぼっちだって思ったこと1秒もないんですよね。この気仙沼の分厚い毛布のような人情って言うんですか、全然寒くない感じっていうのがあるんだろうなと思うし、なんかそういう居心地の良さの中にいさせてもらっています。 会社の朝礼では、毎朝それぞれ持ち回りでスピーチをするんですけれども、入社してすぐぐらいのときに「コロナ禍で歓迎会とかできないしプレゼントの用意もないけれども、歓迎をしたいっていう気持ちの代わりに方言を教えます」って、気仙沼弁をいっぱい教えていただいて(笑) 物をあげるとかじゃなくて、自分たちが普段使っている言葉を一緒に使おうねっていう。その気持ちがもう嬉しくって泣いてしまったんです。その瞬間、私はみんなの懐に入れてもらったって感じることができました。 私は「気仙沼つばき会」という、気仙沼のおもてなしを考えようと発足した女性限定の会に入って活動しています。あと、個人的には盆踊りの復活をお手伝いしたいです。こないだ地域の方に聞いたら、もう何年も盆踊りをやってないって。実は私、東京にいるとき自称「ボン(盆)バー」だったんですよ(笑)毎週末あちこちで盆踊りをするぐらい好きで。なんだったら会社の広い場所でやぐらを組んで踊ってもいいし、そういうことができたらいいなと思っています。 ●Instagramはこちら (掲載日/2023.7.20)
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vol.17【気仙沼移住女子】あいこの場合
〜あいこの場合〜 「移住女子 × フィットネス起業」 “高校生からダンスを始めたんですが、その頃は気仙沼にストリートダンスの教室や先生がいなかったんです。そのときから、自分がここにダンススタジオをつくる!と決めていて、東京のダンス専門学校に進んで、ダンスを全ジャンル学びました。 そして、その専門学校の卒業式当日が震災の日で。すぐに気仙沼に帰ろうと思ったけど、帰っても何ができる?という葛藤の中、東京のフィットネスサロンで経験を積んで、健康づくりの知識やダンスを教えるノウハウ得ました。そして2013年4月、22歳で地元に帰ってきて、レッスンを開始、2016年から自分のスタジオをオープンしてやっています。” *あいこ(30) *出身地:気仙沼・三日町 *仕事:フィットネス&ダンススタジオ「Air」経営・インストラクター “経営のことも勉強して大きい目標も立ててみたんですけど、それは自分サイズじゃなくてちょっと無理があったんです。それで、実践あるのみ、に立ち返って、いまはこの場を継続することを目標にやってます。結果はあとからついてくるかなぁと。自分のすきなことで地域貢献できてるってスタンスで、自己投資しながら維持しています。 わたしにとっては仕事がいちばんたのしい時間で、それを生きがいに生きています。ただ出産とか子育てとか今まで気にしてなかったことが、一気にこの歳になってプレッシャーで身にしみているのも事実。そういう女性が社会的に担っていかなきゃいけないことも今の仕事を続けてこなせるかといったらわからない。どう乗り越えなきゃいけないかはこれから考えていきたいと思っています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.17)
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vol.29【気仙沼移住女子】ともちゃんの場合
〜ともちゃんの場合〜 “気仙沼にくる前は京都で織物の仕事を10年ぐらいやってたんですが、結婚をきっかけに気仙沼に移住して、いまはまったく違う観光のお仕事をしています。結婚した相手も震災の復興きっかけの移住者だったので、頼る人は夫以外いない、という環境で2015年に移住して、「呼ばれてないのにきちゃった」ってやつ。笑 田舎で住む、という経験は20代前半でやったことがあったし、都会でできることは十分したな、と思ってたから、引っ越す踏ん切りはつきました。見ず知らずの土地に引っ越して知り合い増やしながらなんとかなるかな、って。移住する前に気仙沼にきたのは2回だけでした。そのときに、近所の方が「若い人いっぱい移住してきて、うちにもよくきてるから、なにかあったらうちにきてくれればいいよ」って。こんな人たちがご近所にいるなんて心強いな、って、背中を押してもらいました。” *ともちゃん(37) *出身:千葉 *仕事:気仙沼地域戦略(観光マーケティング) “知り合いもいない中で気仙沼にきて、知り合いが増えてくる。ひとりつながりができて、まちのことをひとつすきになる。人を好きになって、まちを好きになる、の繰り返しで、このまちになんでもいいから私にできることがあれば力になりたいな、と思って、やれることをやるってかんじ。 ゼロの状態で入ったから、まちをすきになる前に、人をすきになったんだよね。ある意味、モチベーションは恩返しかな。 いまは、自分のスキルとかやりたいことは縮小していて、子どもと過ごす時間を確保する方に意識が向いています。お母さんになりたくて気仙沼に来たので、子どもが生まれてやりたかったことがひとつ始まった感じ。地域にも頼りつつ、保育園とか助けてもらえる場所があるから移住者夫婦の核家族でもやれてるな、と。はじめましての場所でも、住んじゃえばなんとかなるって、こんどはわたしが背中を押したいです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.31)
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vol.26【気仙沼移住女子】あゆちゃんの場合
〜あゆちゃんの場合〜 「移住女子 × 顔の見えるデザイン」 “大学4年生の夏、付き合っていた彼が気仙沼出身で、初めて気仙沼に遊びに来たのが「みなとまつり」の日で。おみこしかついだり、彼の家族に会ったりして、風通しがよくて、活気があるところだなぁってその日のうちに気仙沼のことが好きになったんです。内湾で漁船がたくさんいてキラキラしててきれいだなぁって見ながら彼と話してたんです。そしたら彼が「いま気仙沼はなにもないけどこれからまちが復興して、まちも商売もおもしろくなる。そういうときに気仙沼にはデザインの仕事が絶対必要だから、このまちでデザインの仕事をしてほしい。気仙沼を一緒に盛り上げていこう」って言ってくれたんです。 私は大学を卒業したらフリーランスでやっていきたかったし、相手の顔が見えない仕事ではなく、自分の仕事を喜んでくれる人の顔が見える環境が良かったんです。だから彼と話したその時に、気仙沼でデザインの仕事をして東北を盛り上げていきたいなって思ったんですよ。” *あゆちゃん(28) *出身地:山形 *仕事:グラフィックデザイナー “彼と結婚して、子どもが生まれて。子育てしながら十分な収入を得るってなかなか難しいんですよね。こっちきて3年目とかかなぁ、少しずつお仕事もらえるようになって。最初は自分の同級生がバリバリ働いてる姿が羨ましくて、フルでデザインの仕事をバリバリやりたいって焦りもあったけど、娘がある程度大きくなるまで自分の手できちんと育てたかったし、地方でフリーランスやるにはコツコツ地道にやるしかないなって。今は自分の納得のいく仕事を手の届く範囲でやっていこうと思ってます。デザインの仕事って信頼で成り立ってるし、実績も自分の力も地道に積み重ねるしかない。明日新しい仕事がくるわけでもないし、デザインの実力も急に上手くなったりもしないので、10年後にこうなってたい、とか自分の中で長い目標を立てて、ちょっとずつ小さい階段を上っているかんじです。 いまの気仙沼みたいに、まちがすごいスピードでできていってる段階ってそうそうないので、いちばん気仙沼が楽しくなっていく時期がいまから始まると思っていて、その時代に自分が生きてるって思うと、私はこれからもこのまちで仕事がしたいなぁって、ここでがんばろって思えるんです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.5)
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vol.19【気仙沼移住女子】ゆかりの場合
〜ゆかりの場合〜 「移住女子 × 自分をチェンジ!」 “大学生のときにリノベーションのプロジェクトのお手伝いで気仙沼に通ってたんですが、最後まで参画しきれず、やりきれなかった悔しさを抱きながら、就職して、2年半くらいはほとんど来てませんでした。でも就職した建築系の会社の仕事がすごくハードで、心身ともに疲れ切ってしまって。このままじゃまずい、環境変えたいな、自分ちょっと変えたいなって思ったんだけど、仙台に帰るイメージはつかなくて。地元以外でつながりがある地域が気仙沼で、ひさしぶりに気仙沼・唐桑に行ってみたんです。そして仕事を探してみよう、と移住センターに相談にいったら、スタッフの方がすごく親身になって相談にのってくれて。そこでいろんな人紹介してくれて、仕事は地域おこし協力隊が、そして家はシェアハウスが見つかりました。今までは仕事の悩みを言える人がいなくて、でも気仙沼ではこんなに親身に考えてくれる人がいるんだ、って。” *ゆかり(28) *出身地:仙台 *仕事:気仙沼地域戦略(観光マーケティング) "もともと人と話すことや、人前で話すのは得意じゃなかったんです。移住を決めるってときに自分を変えたい!と勇気を出して飛び込んだのがよかったかな。明るくなったし、いい意味ですごく変わったなって思います。明るいね、って言ってもらえるのがうれしくて、自分で自分をすきって思えることは今までなかったんだけど、気仙沼にいる自分をすきになれました。 人には本当に恵まれてるな、と思います。仕事だけじゃなくて「銭湯友の湯」を盛り上げるプロジェクトや移住女子の仲間「ペンターン女子」のみんながいるから保ててるんです。つらいこと、嫌なことがあっても、他のところがある、切り替えができる場所がたくさんあるから、バランスがとれてる。 自分を好きになれたこの気仙沼が好きで、ここに住み続けたいと思っているので、いま関わる仕事やプロジェクトをさらに夢中になって進めていきたいです。あのとき、飛び込んでよかったと思います。いま悩んでるひとには、「ちょっとの勇気でこんなに変わるよ、選択肢はいっぱいあるんだよ」ってこと、伝えたいです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.28)
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vol.18【気仙沼移住女子】まきの場合
〜まきの場合〜 「移住女子 × コミュニティデザイン」 “高校生のときにまちづくりに関わることがおもしろいな、と思って、まちづくりのお手伝いをする勉強ができる山形の大学に進学しました。将来的には気仙沼に帰ってきたいと思いつつ、仕事のイメージがつかなくて。大学にいる間も気仙沼に貢献できたらいいな、とは思ってたけど、すぐに気仙沼に帰ってこれるとは思ってませんでした。30,40歳すぎかなーって。そんなとき、知り合いがSNSでシェアしてた「市民が主役のまちづくり」をテーマにした地域おこし協力隊の募集に魅力を感じて。その仕事内容と学んでたことの共通点があって、しかもそれが気仙沼で。大学4年生の4月から協力隊になりました。その1年間はほぼ気仙沼にいて、授業もゼミだけだったから、基本オンラインで参加して、月1で山形にいく、そんな日々でした。” *まき(25) *出身地:気仙沼・鹿折 *仕事:デザイナー(個人事業 荒屋デザイン・合同会社moyai・NPO法人wiz) “協力隊の仕事もデザインの仕事も、大学生だったり新卒で経験のない自分に新しい仕事任せてもらえたり、企業の人が声かけてくれたり、気仙沼ってすごいなって。若い人、経験浅い人にもいろんなことを任せてくれる。 IターンとUターンではまた違うかもしれないけど、どうしても仕事とかなにもわかんないから足踏みしてしまう。帰ってくる前に段取りできないかもしれないけど、とりあえず来たらなんとかなるよ!デザインはPCあればどこでもできる特殊な仕事だから一般論として言えないけど、まわりにもなんとかなってる人の事例がたくさんあるある。笑 そうやって地元に帰ってきてくれる人が増えたらいいな、と思っています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.24)
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vol.15【気仙沼移住女子】けいこの場合
〜けいこの場合〜 「移住女子 × アクティブ公務員」 “気仙沼はもともと好きで、老後は帰ってきたいな、とは思っていました。 でも、そのときの気仙沼は「挑戦しながら働くまち」というイメージがなくて、まずは都会でチャレンジしてみようと大学進学と共に神奈川へ。 就職してしばらくしてから、気仙沼に帰省したら昔栄えていた近所の商店街がちっとも開いてなくて、老後までこのまちはあるのかなって思ったんです。そのあと震災が起きて、まちがなくなってしまって。すぐにでも帰りたいと思ったけど、給与が下がることへの不安や、手に職がない自分がなにができるのか…という迷いもあって動けずにいました。でも、何度か帰省するたびに、瓦礫も撤去されて、どこになにがあったか思い出せなくなって。自分になにかできるまで待ってたらダメになっちゃうんじゃないか、このまちのために働いて暮らすひとがひとりでも増えれば、と、帰ってくることを決めました。ネットで「気仙沼 求人」って調べたら、「東北未来創造イニシアティブ」の仕事が出てきて。「市長の参謀として働く」みたいな売り文句、うっかり見つけちゃったんですよねぇ〜。そのプロジェクトに応募して3年間働き、その後、市役所の社会人採用を受け、いまに至ります。” *けいこ(38) *出身地:気仙沼 *仕事:気仙沼市役所 産業戦略課 “いまは市役所で、経営者の支援をするような仕事をしています。 気仙沼にはおもしろい構想をもってる経営者がたくさんいるから、それを実現できるようになったらまちが元気になるなぁって。私は自分でお金を生み出す仕事をしたことがなくて、お金稼げる人への尊敬がある。このまちって本当に魅力的な経営者が多いんです。それ自体がまちの財産だなぁって。経営者に限らず、チャレンジしている人がいっぱいいるし、チャレンジを応援してくれる文化も育ってきてる。それは地元の人だけでなく、震災後の移住者たちがいてくれたからこそできた空気で。市役所で働いているわたしにも影響してるんです。市役所職員も、やろうと思ってがんばれば、いろいろなチャレンジができるし、おもしろい職場です。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.1.8)
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vol.10【気仙沼移住女子】ももこの場合
〜ももこの場合〜 「移住女子 × 変化の可能性へのわくわく」 “関東で看護師をしていて、仕事は楽しかったけど、このままキャリアを積むことに興味がわかなくなり、このまま30歳になるのは嫌だな、今しかできないことやってみよう、と仕事を辞めて、旅に出ました。お金は稼ごうと思ったら働けばいいし。 その中で気仙沼にたまたま寄ったとき、ボランティアのための宿を今後どうしよう、って話を聞いて。「なくなっちゃうのもったいないし、わたしゲストハウスやりたい」って。いま思うと、「お菓子たべたい!ごはん食べたい!」的ノリで「ゲストハウスやりたい!」でした。笑 おもしろかったらずっといるし、おもしろくなかったら帰ろうぐらいの気持ちでした。” *ももこ(29) *出身地:静岡 *仕事:ゲストハウス「架け橋」オーナー、子育てシェアスペース「Omusubi」 “わたしって自分にやりたいこととか、理想やゴールがないんですよね。分野に関係なく、変化するものがおもしろいと思っていて、変える余地のあるもの、変化の可能性があることにわくわくする。だから、いまは子育てママたちや大学生たちがやりたいことをサポートするのが自分の役割だと思っています。子育てシェアスペース「Omusubi」も、ゲストハウス架け橋も、みんながやりたいことができる場になったらいいって思ってます。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.12.7)
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vol.07【気仙沼移住女子】さちをの場合
〜さちをの場合〜 「移住女子×地域で子育て」 "大学生のとき、震災ボランティアできて、気仙沼の子どもたち向けのキャンプを企画する団体のお手伝いをしていました。そのとき出会った子どもたちがどんな大人になっていくのか、気仙沼がこれからどんなまちになっていくのかを、わたしもみんなと一緒に見たい思って、大学卒業を機に移住しました。最初は市役所で働いていて、4年前に地元の人と結婚しました。出産を機に仕事は辞めて、いまは2人の子どもたちと海に行ったり、山に行ったり、畑に行ったり、子どもができる前からやっていたことを季節ごとのくらしを、今度は自分の子どもと一緒に楽しんでいます。" *さちを(28) *出身地:奈良 *仕事:絶賛子育て中! "最近では、結婚したり、子どもが生まれたりする移住仲間が増えてきました。よそから移住してきたけど、子どもが同級生で、学校一緒で、一緒にこのまちで育っていく、ってとってもわくわくします。結婚・出産したり、年を重ねると自分もまわりも環境が変わると思いきや、あまりみんな変わらない。ずっと変わらずみんなとたのしく生きていけるって思えて、うれしいし心強いです。" ●Instagramはこちら (掲載日/2020.11.29)
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vol.16【気仙沼移住女子】えりの場合
〜えりの場合〜 「移住女子 × 副業スキル」 “大学卒業して、最初は隣町(岩手県)で暮らしながら働いてました。2015年の秋頃、よく遊びに来てた気仙沼に住所移して住み始めて、気仙沼から岩手の会社に通ってました。そのときに気仙沼市でやってる地域の若者向けイベントで地元経営者の話を聞く「ぬま塾」によく参加してて、若者が集まってるのいいな、って。あと気仙沼は上の世代の経営者の人や若い人たちがつながる場があって、起業する、とか、地域のために新しくなにかする、がしやすい空気でした。 4年前に結婚して、会社を辞めて、起業の準備を始めました。パンづくりの勉強したくて、南三陸のパン工房で働いて。自分でパンつくってイベントで販売したりしながら、他にも子供古着のシェアサービス「みんなのタンス」を立ち上げました。” *えり(29) *出身地:岩手 *仕事:子供古着のシェアサービス「みんなのたんす」代表、コミュニティFMラジオパーソナリティ、ケーブルテレビ市民アナウンサー “もともと一次産業やエネルギー問題、地産地消、食料供給源に関心があって、地域にあるものだけで生活していく、小規模分散型の社会だったら、なにがあっても安心して生きていけるんじゃないかと思っていて。たとえば、減反で収益あがらない米農家さんが小麦に転作すればその農地でやっていける、じゃあパン屋になったら小麦いっぱい使えるなとかって。 わたしは才能あるわけじゃないし、超頭がいいとかじゃないから、総理大臣になるとか大企業の社長になるとかはできないと思うけど、地球のため、子どものため、人類の未来のために、ちょっとでも自分の生き方、やれることで、いい影響をあたえられる人生になったらいいな、と。生活面の不安があるからこそ、いろんな収入源をもって、マネタイズする部分と、自分が本当にやりたい仕事をやる部分とを考えながら、生きていけたら安心かな。いま、プログラミングの勉強してるんだけど、やってて苦しくないことは全部仕事にできる程度のスキルにしていきたい。学ぶきもちをずっと持ってればこれから社会がかわっても仕事を得られるかな、って、そういう姿勢で生きてます。ゼロだから、わたし。笑” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.9)