お知らせ
NEWS
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- 2020.11.09
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気仙沼での「仕事」・「暮らし」・「移住」に関してご興味のある方はどんな小さい事でも構いません。気軽に下記連絡先までお問合せください。具体的な企業様のご案内やオンラインによる説明会等ご対応しております。
メール:k.koyousouzou@gmail.com
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- 2021.01.18
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【宮城県外の学生向け交通費補助のご案内】
宮城県では県外から県内へのIJターンを考えている学生の方向けに宮城県内で行われる合同企業説明会や企業説明会及び面接時にかかる交通費の補助を行っております。詳しくは添付のチラシをご覧ください。ご相談も承っておりますので、詳しく知りたい方は当協議会までご連絡頂くかチラシのお問合せ先までご連絡ください。
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- 2020.12.28
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【 東京圏から宮城県へUIJターンされる方へ移住支援金のご案内】
宮城県では、通算5年以上かつ直近1年以上東京23区内に在住又は通勤・通学(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県から)
している方で宮城県へ5年以上継続して移住予定の方向けに移住支援金の支給を行っています。
詳しくは添付ファイルをご覧ください。ご相談も承っておりますので、詳しく知りたい方は当協議会まで
ご連絡頂くか添付ファイルのお問合せ先までご連絡ください。
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気仙沼での
「仕事」・「暮らし」・「ひと」
オンライン座談会
ONLINE
随時、参加の申し込みを受け付けております。
少しでもご興味のある方は下記メールアドレスにお問い合わせください。
- 気仙沼での働き口
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採用募集企業一例
- ※50音順
※今後、募集企業情報は随時追加アップ予定です。
「取材ライターの独り言」
中途採用の「移住」者は、気仙沼のバランスのリソース
今回、私が話を伺った中途採用の「移住」者は、20代、30代、40代とそれぞれ異なる世代ながら、移住の動機はみな震災だった。ある人はボランティアをきっかけに。ある人は被災したふるさとへの恩返し。そしてある人は発生直後から地元で復興に携わってきた。そこに共通する意識は、自分のためじゃなく、まちのため。好きで続けていた前職をそのキャリアごと切り捨て、収入面でも都会に太刀打ちできない気仙沼にいさぎよく暮らしの基盤を移し、地域の幸せのための一翼となった。その決断は当時、かなり不安な冒険的リスクだったろうと思う。
ただ、いまの彼らにそんな面影は微塵もない。むしろ、まちの復興と発展につながるここでの仕事にひとりの組織人、あるいは責任を抱えた役職や尊敬される父、注目を集めるリーディングカンパニーの若き猛者として、生きがいと誇りを持っていた。
彼らが社会人としてそれぞれの地で培ってきた経験は、新しいチャレンジがどんどん生まれるこのまちで、大切なバランス感覚となって生かされている。むしろその経験こそが彼らをこの地に導いた、そんな気さえするくらいだ。
[ライタープロフィール]
仙台市生まれ。父親の仕事の関係で小中高と宮城、福島、茨城で暮らし、静岡での大学生活を経て仙台へUターン就職。広告代理店に勤めた後、10年前からフリーランスとして独立。読み手に寄り添えるコピーワークを目指し、さまざまなジャンルで活動中。
CHARM
気仙沼の魅力
時代を生き抜いてきた不屈の精神。
県内でもアクセスの不便さから《陸の孤島》と呼ばれている、気仙沼。
復興道路として整備が進む三陸自動車道の気仙沼港-唐桑南(7km)が開通すると(2020年度内予定)、仙台から唐桑までの道が一本でつながり、アクセスも2時間圏内。
気持ちの距離も少し身近になる。
もともと天然の入江だった気仙沼湾は水深が浅いため大きな商船が入港できず、大企業の資本も入らない、時代の開発から取り残された場所だった。
だから気仙沼の人々は、世界屈指の漁場がもたらす海の恵みを資源に会社を興し、産業を育て自分たちのチカラだけで生き抜いてきた。
まちへの愛着が深いのはそんな理由がある。
海と山が織り成す気仙沼の美観はその証。
このまちには他の港町でよく目にする、もくもくと煙突から煙を吐き出す工場の景色がない。
それは、ここで生きてきた人々の歴史でもあり誇りでもある。
あたらしい感性を受け入れる共感力。
2011年の東日本大震災では、気仙沼だけで1,000人以上の人が亡くなった。
まちも甚大な被害を受け、その現実を前に、地元企業の経営者たちは廃業か、継続か苦渋の決断を迫られた。
涙をのんで廃業せざるを得なかった企業も少なくなかった。
そんな中、かろうじて立ち上がることができた会社の経営者たちは、再興できなかった人々の想いを背負い、まちのために、と助け合いながら復興の道を歩んできた。
それまで排他的だった人々も、他者を受け入れることの大切さを学びとってきた。
あたらしい感性を楽しむ気仙沼の素地はそうやって生まれた。
だから気仙沼で何かをしようと思ったら、まず周囲が放っておかない。
あれやこれやと親身になって、相談にのってくれる。
どうしたら実現できるかを、一緒に考えてくれる。
ときには助け舟を出してくれたり、一緒に汗を流してくれたりする。
人のつながりなくしてこのまちはなく、むしろそれこそが、この地を選んだ移住者の先輩たちが口を揃えて答える魅力。
いつ訪れても、それが誰でも家族や親戚のようにあたたかい。
だからこの地に移住してくる人たちは、みんな等身大の自分で頑張れるし、『このまちのため、人のため』という新たなモチベーションに気づかされている。
自分のキャリアが、まちを創る。
中途採用でこのまちに移住してくる人は言ってみれば「半分よそ者+半分地元」のハーフ。
客観的なものの見方や、これまで積み上げたキャリアなど、まちづくりの即戦力として期待される存在だ。
まだまだ復興半ばの気仙沼には、そんな人の実力を生かせるステージがたくさんある。
気仙沼では「実現したいこと=実現できること」。
自分の適正や能力、これまでの経験がダイレクトにまちや人のためになる手応えも大きい。
例えば、気仙沼の人とこの地の食べ物に惚れ込んで、陸に上がった漁師を癒す銭湯が隣接した定食屋を開いた人。
例えば、この土地を知らない旅行者のためにわが家のような居心地と、わが家にはない出会いを提供するコミュニティのようなゲストハウスをつくった人。
この地に移住し、頼りになる仲間や上司との出会いに支えられ、目標を達成した先輩たちがたくさんいる。
そんな移住者の想いによって、気仙沼になかったものがいま、どんどん生まれている。
「東日本大震災以前に戻す」ことではなく、『それ以上のまちに進化させる』こと。
この進化の過程に飛び込んでくる人たちを、気仙沼の人たちは放っておかない。
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