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【UIターンインタビュー】婿ターンで掴んだ、理想のキャリアと家族との時間。
テレビ越しに見た彼女の実家、気仙沼の惨禍 気仙沼内湾の復興のシンボルとして、立派な佇まいを見せる建物がある。市民のパートナーとして寄り添い、共に復興への道のりを歩んで来た気仙沼信用金庫の2017年3月に再建された新社屋。財政支援だけでなく経営者のパートナーとして気仙沼の復興に欠かせない役割を担ってきたが、ここで活躍する人のなかには、震災後に移住した人もいる。そのうちの一人が布田真也さんだ。 大学卒業後、地元・茨城の地方銀行に勤めていた布田さん。2011年3月11日もいつものように外回りの営業に勤しんでいた。突如、強く大きな揺れが襲った。 「お客さんのところで一緒にテレビを見て、震源地が東北だと知りました。その後電気が止まったので、カーナビのテレビをつけると、気仙沼が大火に見舞われている映像が流れてきました。『大変なことになっている』と…」 布田さんがテレビ越しに見ていた宮城県気仙沼市。そこは、のちに結婚することになる当時の彼女が暮らしている場所だった。そして震災前に布田さん自身も彼女とともに訪れたことのある、決して人ごとではない、縁の深い土地だった。 「彼女とは5日間くらい連絡もとれませんでした。『最悪のことがあったんじゃないか……』そんなことすら頭をよぎり始めたころ、連絡がとれて、ほっと一安心したのを覚えています」 「震災から2週間後に訪れた気仙沼はかつての面影がまったくなかったですね」 移住前にできた知り合いの存在が、決断を後押し 震災前、初めて遊びに来た気仙沼は「食べ物がおいしくて、やさしくて温かい人が多いな」という印象だったと振り返る布田さん。震災後、変わり果てた気仙沼の姿に寂しさを感じながらも、気仙沼で過ごす時間が増えていくほどに、そのよさもさらに実感していったという。そして、震災から1年が過ぎたころ、二人は結婚。茨城に呼ぶということも考えたというが、妻の実家が家業をやっていたこともあり、気仙沼への移住を決めた。 「気仙沼に何度か足を運んでいるうちに、この土地の空気感が気に入ったので、気仙沼でも地域に根ざした仕事ができればと思っていました。金融の仕事にもやりがいを感じていて好きな仕事だったので、移住しても金融業界と考えていました」 ちょうどそのタイミングで、現在働いている気仙沼信用金庫の中途採用の案内が出ているのをWebページで目にした。これまで銀行で5年間、積み上げてきたキャリアをしっかりと活かしつつ、地元密着の仕事をしたいという布田さんの想いに合致した。「これだ!」と思い、すぐに連絡をいれたという。 しかし、生まれてから社会人まで一度も離れたことのない故郷を離れ、新しい土地での生活。そして、転職。不安がないわけがなかった。 「地元の友人と離れるのは寂しかったですし、この年になって新しい友達ができるかなって。外から来た人間が受け入れられるだろうかとも思っていました。ただ、実際に移住するまでに、妻の同級生と遊んだり、親戚のおばちゃんに覚えてもらったりと、知り合いができていたのは移住を決断するうえでは大きかったですね。みなさんオープンな気質の人が多く、心配はすぐに吹き飛んでしまいました」 移住するまで大学時代も社会人時代も含めて実家を出たことがなかった布田さん。「地元の友だちには本当に驚かれました」と笑う 「気仙沼は子育てもしやすい町だと思います」 現在、布田さんには二人の子どもがいる。震災から間もない気仙沼での子育てに不安はなかったのか——。 「地域みんなで子どもを見てくれるという安心感がとても心強かったです。横のつながりがとても強くて、子どもといっしょにいれば、町の人が気にして声をかけてくれる。妻の実家の家業である婦人服店を手伝っているのですが、そのお店に来た近所のおばあちゃんが知らぬ間に子どもの相手をしてくれていたり。本当にあったかい町だなって実感します。この町で家族と暮らすということに関してもこれまで大きく不便さを感じたことはありません。病院もあるし、日用品の買い出しなどにも困りませんからね」 休日は、家族で出かけることが多いという。「海もあるし、山もある。子どもが遊ぶ環境には事欠かないですよね。週末は毎週のように市内どこかでイベントをやっていて。『産業祭り』や『気仙沼みなとでマルシェ。』などで子どもたちといっしょに楽しんでいます」 今、家族との時間がいちばん幸せだと語る。 「気仙沼に来て、仕事と家族がしっかりと両立できていると感じています。以前は、仕事優先という感じでしたが今ではバランスがとれていますね。たしかに、地方への転職ということで収入面での不安はありました。実際に首都圏に比べれば表面的な収入では見劣りしますが、お金の豊かさを取るのか、暮らしの豊かさをとるのか、ということだと思います。今私自身がこの暮らしに満足していて充実しています。」 「週末は海に行ったり、市内で開催されるイベントに足を運んだり。こんなにイベントがたくさんある町はほかにないんじゃないかってくらい。それも気仙沼で暮らす楽しみのひとつ」と話す 仕事と家族を両立する理想の暮らしが移住後に実現 前職時代は投資信託や定期預金など法人個人関わらず外周りの営業を担っていた布田さん。現在、布田さんの所属する復興支援部、企業支援部は、地元企業とともに販路開拓を考えたり、起業支援を行ったり、まちづくりの事業に参加をしたり、いわゆる金融業の枠を超えた業務も多い。 同じ金融業への転職ながら、キャリアチェンジに近く、新たなチャレンジに難しさを感じているという。しかし、「地域住民と手を取り合いながら共に歩むキャリア」は、これまで以上に自ら描いていた理想に重なりあう。 奥さんの実家という縁あって地方移住を選択した布田さん。そのことによって、自身の描くキャリアから逸れるわけではなく、しっかりとキャリアを積み重ねていった。さらに、仕事と家族、そして地域活動をバランスよく充実した日々を過ごす—。 移住後の転職先で理想の暮らしを送る布田さんの姿は、ともするとキャリアダウンやリタイア後のセカンドライフ、もしくは単身者の起業家というイメージが抱かれがちな地方移住において、新しい風をもたらしているのかもしれない。 布田 真也(ふだ しんや)さん 茨城県筑西市出身。1986年生まれ。奥様とは大学時代のサークルで知り合い、卒業後、茨城と気仙沼の遠距離恋愛を育んできた。2014年に気仙沼に移住。趣味はランニング。岩井崎周辺を走って家に戻る約10キロのコースがお気に入り。溺愛する二人の子どもたちには「気仙沼で好きなことを見つけて、のびのびと育っていってほしい」と話す。
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【UIターンインタビュー】移住当初は後悔ばかりでした(笑)。
オヤツ食べたい的「ゲストハウスやりたい」。 それまで住んでいた横浜から気仙沼へと移住したのは、2015年の12月のことでした。24歳の頃です。いまもオーナーをやらせていただいている『ゲストハウス架け橋』が移住の決め手ではあったと思うんですけど、振り返ると浅はかでした。当時、前職を辞めて自転車で日本一周をしようと思いまして、たまたま寄った気仙沼で「ゲストハウスやりたい」と仲間内で言っていたんですね。でも、楽しいところしか見ていなかったというか、なんの覚悟もなかった。「おなかすいた。オヤツ食べたい」と同じレベルでの「ゲストハウスやりたい」で(笑)。 もちろん、学生の頃から、ひとり旅をすると必ずゲストハウスに泊まるぐらい好きではありました。岡山の『有鄰庵』さん、北海道の『waya』さん、ゲストハウスというよりはユースホステルですけど礼文島の『桃岩荘』さんなど、好きな宿もいっぱいあります。 じゃあなぜ、私がゲストハウスを好きかというと、あの場所には、本当にいろいろな生き方をしている人がいて、世間の正しいが必ずしも正しいわけじゃないんだなぁと感じたからなんです。大手企業に勤めている人もいれば、フリーランスで仕事をしている人もいたし、無職だけどずっと楽しそうな人もいた。楽しそうかどうかにキャリアなんて関係ありませんでした。 ところが私は……私の前職は看護師なんですけど……あの道は、学校に入学すると9割5分ぐらいは必ず看護師になるんです。就職活動もほぼない。しかも私は、小学6年生の頃からなんの疑いも持たずに看護師になるものだと決めていた。簡単に言うと視野が狭かったのだと思います。ところが、旅先でゲストハウスに行くといろいろな人がいて、様々な価値観があって、それが魅力的でした。 だから、前職をやめる時にもあまり悩まずにすんだのだと思います。 看護師の仕事そのものは楽しかったんですけど、シフトが出る、遊びや飲み会の予定を入れるという暮らしで。ある夜、飲み会終わりに終電に乗っていて、明日は仕事かぁ、こういう生活が30歳まで続くのかぁと想像したら急に嫌になっちゃったんですよ。その時にふと思い出したんです。そういえばゲストハウスにはいろいろな人が集まっていて、みんな楽しそうだったなぁ。まぁ、生きてくぶんにはなんとかなるでしょって(笑)。 <私はここですることがあるな>という予感。 移住を真剣に考えてらっしゃる方には、本当に申し訳ないんですけど、そもそ も私には住む場所へのこだわりが薄いのだと思います。旅と移住がほとんどイコールというか。それに、勢いで行動してしまうタイプでもありまして。気仙 沼へとつながる自転車での日本一周を決めた時もそう。 <仕事辞めよう、なに しよう、旅しよう>でしたから(笑)。 日本一周目指して自転車の旅に出た村松さん 自転車での日本一周は、仕事を辞めて、東京の友達の家に1ヶ月お世話になって、そこから北上していきました。 栃木通って、福島通って、気仙沼を通ってしばらくいて。そこからちょっと飛ばして青森に行って、北海道入ってぐるっとして、そこから1回気仙沼に帰ってきて。本当はそこから日本海側を南下していく予定だったんですけど、変更して岡山まで電車で行って、さきほどの岡山の『有鄰庵』さんで1ヶ月ぐらいヘルパーして、気仙沼に帰ってきました。 そうなんです。気仙沼には「帰ってきた」という感覚がありました。 先ほどのオヤツ食べたいぐらいの浅はかな「ゲストハウスやりたい」を聞いてくれた仲間とは、日本一周を始めた1ヶ月後ぐらいの、はじめての気仙沼で出会っているんですね。当時は、震災4年後ぐらいでしたから、業者さんも多くてホテルはどこもいっぱい。自転車旅に詳しい友人から、野宿はおすすめできないと紹介してもらったのが『ゲストハウス架け橋』でした。いまと名前は同じですけど、その頃はボランティアの方が主に宿泊されていました。旅を続けるなかで、気に入った街だと2週間ぐらい滞在したりもしたんですけど、なんなんですかね。なんで、気仙沼だったのか。 それはたぶん、『ゲストハウス架け橋』が魅力的だったというのではなくて、<あ、私はここですることがあるな>と感じたからだと思います。 それで、岡山から戻ってきたら、ボランティアの利用客の方が減ってきていて、これからどうしようという時期で。そのタイミングと私の「ゲストハウスやりたい」が、なぜかピタリとハマって現在に至るという感じです。 水出ない、トイレ流れない、めっちゃ寒い! そんな経緯で移住したのが、2015年の12月だったんですけど、正直言って、後悔ばかりでした。 何度も「横浜に帰りたい」と思いました。<なんでこんなに辛いの?><全然楽しくない!><やりたかったことと違う!>って。いえ、そもそも「ゲストハウスやりたい」が浅はかですから自業自得なんですけど、その頃は本当に逃げ出したくて仕方ありませんでした。 ひとり旅って、関わっているのが自分だけだから逃げ出せますよね?でも、『ゲストハウス架け橋』には関わってくれた仲間がいるし、クラウドファンディングもスタートするしで、私の勝手な言い分ですけど、まわりを固められた感がものすごくあって、逃げ出せませんでした。 でも、逃げ出せなかったから気づけたのが気仙沼の魅力でした。 感覚として、横浜にいた時は生かされていたと思うんです。24時間コンビニはあいてるし、テレビはいつでもつくし、水道の蛇口はひねれば水が出る。しかも私は、お父さんとお母さんに大切に育ててもらってきて、お金にも苦労せず、横浜でも新築の部屋にしか住んだことがなかった。自分で言いますね。育ちが良かった(笑)。 ところが気仙沼では、電気がつかないんです。ブレーカーを上げれば済む話なんですけど、育ちのいい私は、そのブレーカーを知らないっていう(笑)。ブレーカーだけならまだしも、水は出ないし、トイレも流れないし、めっちゃ寒いし。 そうなってはじめて頭を使うんですよね。家の外をまわって「あ、水って水道管があるから流れるんだ」と気づいて。でも、仕組みに気づいても水は出ないので、もうどうしようもなくて近所のじいちゃんを呼んでくるしかありませんでした。「お前、水抜きしたか?」と教えてもらえて、ようやく水が出たんです。 その時、<気仙沼では生きようとしないと生きられないんだ>と気づいたんです。しばらくは、いままで使っていなかった頭を使うのが苦痛だったんですけど、いろいろなことがわかってくるとおもしろくなって。ありがたいことに『ゲストハウス架け橋』の資金が集まって、建物は自分たちでリノベーションしようとなったんですけど、その頃には私、コンクリート打ちができるまでになっちゃいましたから(笑)。 ゲストハウス架け橋リノベーション時の様子 気仙沼の魅力のひとつに「人があたたかい」というのは多くの人が口にするし、私自身、何度、近所のじいちゃんばあちゃんに助けられたかわかりません。 その上で私が思う気仙沼の魅力があります。私、この町に来て、地域の人に否定されたことがないんですよ。「お前はなにをやってるんだ?」と怪しい目で見られたこともない。ゲストハウスなんて象徴的に怪しいと思うんです。住宅街にゲストハウスができる、誰が来るかわからないって、地元の方からしたらもう恐怖でしかないと思うのに、「よくぞ気仙沼に来てくれた!」だし、私のやりたいことを応援してくれるし、助けてくれる。迷惑かけてもそばにいてくれる。それって本当にすごいことだし、この町の素敵なところだと思います。 ひとつのことを続けるのが苦手だけれど……。 ゲストハウスにいると「地元の人ですか?」と、まるでテンプレートのように同じことを聞かれるんです。「違います」と答えると「どこから来たんですか?」「横浜です」「なんで移住してきたんですか?」「自転車で日本一周を……」という感じ。最初のうちは<なんで同じことを何度も答えないといけないんだろう?>と苦痛でした。 でも実は、話す相手によって会話って自由に広がっていくんですよね。移住に興味がある人もいれば、旅に食いつく方もいる。そのことに気づいてちゃんと頭を使って会話するようになってから、話をするのがおもしろくなったんです。同時に自分を見つめ直さざるをえなくもなりました。<なんで私は、ゲストハウスをやっているんだろう?><そもそも私ってどういう人間なんだろう?って。 実は、私にはずっと、コンプレックスがありました。それは、ひとつのことを続けるのがものすごく苦手ということ。 3年という単位で語られることの多い仕事も2年3ヶ月で辞めてしまったし、最初にお話した自転車で日本一周の旅も途中でやめている。じゃあ、そんな私でもずっと興味を持ち続けられていることはなんだと突き詰めて考えたら、人でした。私は、人が好き。人に興味がある。あぁ、だから誰かがやりたいことなら、誰かの頑張りたいことを応援する形なら続けられるんだって。 最近は、『ゲストハウス架け橋』内でやっている「絵本カフェ」(※子育てママの息抜きの場)をさらに発展させたことで、なにかできそうな気がしています。 私、小児科の看護師だったんですね。その頃は子どもが好きだと思っていたんですけど、本当はそうでもなかったんですよね、たぶん(笑)。好きじゃないというのではないんですけど、一番の興味がママたちにあったと最近気づいて。この子が泣かないでいられたらきっとママが喜ぶからというのが看護師時代の一番の興味だったし、やりがいでした。だから、「絵本カフェ」から広がるママさんのためのなにかには、ものすごく興味があるし、<自分にはきっとできることがある>という予感があります。 そうは言っても、「気仙沼の子育てを変えたい!」だとかの社会貢献を目指しているわけじゃないんです。どうもですね、「社会貢献」という言葉が自分にはピンときません。リアリティがない。もちろん、それができる人は本当に素晴らしいと思うんですけど、私はもっと近いというか、自分の声の届く範囲のことに興味があります。たとえば、うちで働いてくれてる女性が、知り合った当初は髪の毛もボサボサで2人の子どもを背負って、申し訳ないけど地味で暗かったんです。それが働くようになったら化粧もバッチリだし、生き生きとしていて元気で「誰?」というぐらい変わられたんですよ。そのママさんの変化を見た時に「これがしたい!」と思ったんです。 ゲストハウス架け橋と絵本カフェのスタッフみんなで撮った1枚 気仙沼はがんばってる人を応援してくれたり伴走してくれる人が、本当に多い町です。素晴らしいことだと思います。 でも、私は、そっちじゃないほうの人を応援したい。上にあがりたい人を引っ張っていくことは苦手だけれど、下に落ちそうな人をキャッチしてそれ以上落ちなくすることは、たぶん、向いていると思うので。がんばれなかったり、悪いことしちゃったり、怒られるようなことをしちゃった人でも必ず裏側には理由があるはず。そういう人たちに「この人だけは裏切らない」と思ってもらえる人になれたのなら……。 私自身も、日本一周だとかがんばれなかったことがたくさんあるけど、そういう自分も認めてあげることができるようになって、生きやすくなりましたから。
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【1月22日開催】NHK プロデューサーと語る地域の明日「移住者が移住者を呼ぶ気仙沼のこれから」
2019年12月30日、NHK総合にて「明日へ つなげよう『ボクらが被災地に住む理由〜移住者たちの本音〜』」という番組が放送されました。その番組では、「気仙沼にはなぜいま移住者が増えているのか?」「何を求め、何をしているのか?」 そんな内容が実際の移住者のインタビューを通して描かれていました。 今回は、その番組のさらに先。「今起こっている移住者の増加を、どう気仙沼の未来に繋げていくのか?」 そんな話を気仙沼のみなさんと考える会にしたいと思っています。 当日は、番組プロデューサーであり自ら現場取材を行った小山靖史氏をお招きし、改めて番組を見ながら、 「制作を通して知った移住者の真の姿とは?」「移住者を虜にしている気仙沼の魅力とは?」「地域と移住者とのさらなる良好な関係とは?」などをお話いただく予定です。 【概 要】 日にち:2020年1月22日(水) 時 間:19:00〜21:00 会 場:内湾商業施設「拓(ヒラケル)」内コミュニティホール(住所:〒988-0017 宮城県気仙沼市南町3丁目2−5) ゲスト:NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー小山靖史氏 参加費:無料 定 員:80名 主 催:気仙沼市移住・定住支援センター MINATO 後 援:気仙沼地域開発株式会 【タイムテーブル】 18:30 開場 19:00 オープニング 19:15 番組視聴 20:00 トークセッション 21:00 クローズ 【お申込み/お問い合わせ】 参加お申し込みは、こちらのお申し込みフォーム、またはMINATO代表電話0226-25-9119よりお申込み下さいませ。 ※席に限りがございますので、必ずお申し込みフォームまたは、お電話からのお申し込みをお願いいたします。
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【UIターンインタビュー】ビビビ×2回の直感で移住を決めました。
美味すぎるホタテの衝撃@人生初気仙沼。 私が生まれたのは静岡県の御殿場という町です。大きなアウトレットモールが有名なんですけど、大都会では全然なくて自然に囲まれた、いわゆる田舎でした(笑)。だから、都会の生活が合わなくて気仙沼移住を決めたわけではありません。じゃあ、なぜ移住したのかと考えると、「直感!」としか言えないんです。移住したのが23歳の時なんですけど、その頃もいまも「気仙沼のどこが好き?」と聞かれても、うまく答えられないんです。大好きなのに、うまく言葉にできないこの感じも、直感で移住を決めたこととつながっているのかもしれません。 気仙沼と私の一番最初のきっかけみたいなものならあります。それはですね、ホタテ(笑)。私、ホタテが大好物なんですけど、はじめて気仙沼を訪れた時に食べたホタテが、それはもうおいしくて、そのうえ、めちゃくちゃ大きかったのが衝撃的で。大学2年生の時でした。震災があったのは、中学3年生の時だったから、あの出来事から5年後ぐらいですかね。地元・静岡の大学の同級生が気仙沼出身で、彼女の実家などを訪ねたのが最初でした。 私が訪れたタイミングでも、地域の方は大変な思いをされていたはずです。でも、私の率直な感想としては、真っ暗で悲しい被災地感は一切なくて。ボランティアではなく、友達を訪ねた気楽さが大きかったのかもしれません。「気仙沼を町歩きする『ロールプレイング気仙沼』っていうイベントがあるからおいでよ」と友達が誘ってくれたんですけど、そのイベントが、それはまぁ素晴らしかったんです。気仙沼の前もうしろも上も下も全部見せるみたいなゲーム感覚で、たとえば市役所の通りの建物の壁にちょこんと古い自転車のマークが付いていることを発見できたり、気仙沼には商売をやっていないふつうの家にも歌舞伎の「中村屋!」みたいな屋号があることを知ったり。とにかく、楽しかったんですよね。しかも、大好物のホタテがおいしいっていう(笑)。 その時の私は、まさか4年後の自分が「移住」するだなんて考えてもいませんでした。 ないない尽くしの自分と2度目の気仙沼。 ちょっぴり時間軸が前後するのですが、大学生だった頃の私は、国際協力に興味がありました。気仙沼をはじめて訪れる前の大学1年生の夏には、発展途上国の人の助けになりたくてネパールへ行ったりもしたんです。でも、わりと早い段階で<国際協力の意義ってなんだろう?>と目的を見失ってしまいます。理由はふたつありました。 ひとつはイメージが全然違ったこと。ネパールの人は貧困に苦しんでいる、どうにかしなきゃぐらいの意気込みで向かったんですけど、現地の人たちはその環境でたくましく生きていたし、笑ってたし、のどかに生活していて、なんというか「平和」だったんですよ。なのに日本のシステムをこの国に導入してもネパールが日本化しちゃうだけなのではと、私は感じてしまったんです。 もうひとつは、ネパールでがんばっている日本の人たちの多くは、なにかしらの特技があったということ。「教育」だとか「農業」だとか「スポーツ」だとか。それに比べて自分はなにもないなぁって。特技もない。特技はおろかできることもない。好きなことも、趣味もない。ないない尽くしの自分……。 ネパールで国際協力の意義を見失い、自分自身のなにもなさに落ち込んだ私は「よし、もっと勉強しよう!」とインドに留学します。でも、一緒なんですよね、場所を変えたって。インドでも続く<はぁ……>という、ため息がちな日々。いま振り返ると、世界は私には大きすぎたのだと思います。 でも、不思議だったのは、インドでため息をついていると、「日本に帰りたい」じゃなくて「気仙沼に帰りたい」と感じている自分がいたことでした。そんなタイミングで例の友達が「今度また『ロールプレイング気仙沼』をやるよ」と教えてくれたんです。「あ、行く行く」と即答した私。だって、あのおいしいホタテも食べれるじゃんという軽いノリでした。 それで、帰国して1週間もたたないうちに2度目の気仙沼を訪れたんですけど、「おかえり」と1度目の時に会った人たちに言われるのが、なんだか心地よかったんです。私も「ただいま」という感覚がすごくあって。 その頃からですかね。遊びに来るのではなく<どうやったら気仙沼に移住できるんだろう?>と漠然と考えるようになりました。 気仙沼で子どもを育てたいという直感。 移住への大きなハードルのひとつは「仕事」だと思います。私の場合も、そこは悩みました。悩んだというか、気仙沼移住うんぬん以前の話で<やばい。春から大学4年生だ><なのに、なんのビジョンも固まってないぞ、私>と焦りまして(笑)。ただ、このまま、就職時期だからという流れのままに就活するのだけは絶対にダメだと感じていました。 そんなタイミングで出会ったのが、その後、大学を1年間休学してインターンさせていただく「まるオフィス」です。気仙沼の唐桑地区というところの“まちづくり団体”なんですけど、ネパールで感じた違和感とは、まったく逆の活動をしていることにワクワクさせられたんです。ネパールでの私の自己嫌悪は、ざっくり言うと<よそ者が外国でなにをできるっていうんだ?>という無力感でしたけど「まるオフィス」の人たちだって、県外からの移住者というよそ者だったのに、地域に根付いてこの町を活性化させようとしている。ビビビときました。すごい。勉強したい。そう思いました。 気がつくと私は、「なんかすごいと思ったから。なんかみんながキラキラしてて勉強してみたいと思ったから。インターンさせてください!」と初対面にもかかわらずスタッフの方にお願いしていたんです。我ながら、「なんか」ってなんだよと(笑)。でも、懐の大きい「まるオフィス」は、私を2017年度のインターン生として受けれてくださって。 インターンでの学びは大きいものでした。さっき、ないない尽くしで「好きなものがない」なんて言いましたけど、そうでもなかったなぁと、いま話していて思い出したのは、昔から子どもが好きだったということ。 たとえば、「まるオフィス」主催の子どもたちの漁師体験というプログラムをお手伝いした時のこと。震災後の気仙沼では「海が怖い」という子どももいたんですけど、漁師体験のプログラムのおかげで海に行けるようになったり、魚に触ったこともなかった子がうれしそうに魚をつかんで笑ったりしていたんですね。それでまた、そういう体験を通して「自分たちの町にはなにもないと思ってたけど、すごいものがいろいろあるとわかりました」なんて地元の子どもたちが発表する場面に居合わせることができて。<すげぇ!>と思いました。この子たち、すげぇって。そして、こういういい子を家族という単体だけではなく、地域で育てようとしていることにも感動したんです。 気仙沼市唐桑地域で参加した子どもたちとの畑の収穫イベント まるオフィスが取り組む中高生向けの地域学習にもスタッフとして参加 その時ですかね。直感的に気仙沼への移住を決めたのは。自分の子どもは絶対にここで育てようと、理屈じゃなく心が決まりました。 とはいえ、そこから大学を1年間休学して唐桑でインターン生活をしている間は、勉強なんてもちろんしていないし、就職への焦りはずっと続いていました。 移住以前と以後で私は変わった? いまの私は、「みらい造船」という気仙沼の造船業会社5社などが合併した会社に勤めています。 実は、大学5年時の就職活動で、親の勧めるままに気仙沼市役所を受けて、あっさりと落ちまして(笑)。勉強してないわ、エントリーシートを出すのが2週間前だわで、そりゃあ落ちて当然でした。 でも、落ちたのがよかった。本当によかった。まさに市役所を落ちたそのタイミングで「会場は仙台なんだけど、気仙沼の企業の合同就職説明会をやるからおいで」と「移住・定住支援センター MINATO」から情報をもらえたんです。 その会場のとあるブースで出会ったのが「みらい造船」でした。社長と一緒に来ていたある男性社員は、「俺、マジでこの仕事に誇りを持ってるんだよね!」と熱く楽しそうに話してくれて。ビビビときました。かっこいい。造船のことなんてまったく知らなかったけど、そう感じました。「まるオフィス」の時と同じような直感で、「すみません。この場で面接してください」と社長にお願いをして、運よく採用していただいて現在に至るという感じです。 移住ってどういう経験なんでしょうね? なぜ移住したのかという理由に関しては、やっぱり直感としか言えないんですけど、「移住という経験」ならば、移住以前と以後の私は大きく変わったように感じています。 以前の私は<いい子でいなきゃ>と考えていたんです。まわりの友達から「明るいね」とか「いつも元気だね」と言ってもらえて、そのイメージに応えようとして、落ち込んでいる時でさえ無理に笑っていた自分。 なのに、「みらい造船」のいまの仕事では、<嫌われてもいい!>ぐらいの勢いで生意気なことを言ってるんですよ。複数の会社が寄り集まって「みらい造船」になったので、守らなければいけない伝統ももちろんあるけど、変わらなきゃいけないところもたくさんある。そこに気づけるのは、私たち若手だと思っているので。気仙沼は漁師さんの町で、漁師さんを支えるのが造船の仕事。だったら、この会社は残さなきゃいけない。だって、気仙沼に必要なんですもん。しかも、私自身の願いも、気仙沼にずっといたいし、子どもを産んでこの場所で育てたい。だから<いい子でいなきゃ>モードなんて、どうでもいい。 「みらい造船」って、職人さんもカッコいいんです。70歳をすぎたぎょう鉄(鉄板を曲げること)の職人の親方は「いまの時代は指先ひとつで機械を使って人をダマす。オレオレ詐欺とかもそうなんだろ? でもな、いくら機械化が進んでも俺たちのこの指がなきゃ、曲げはできねぇ」なんて、さらっと言うんですよ。本当にかっこいい。 いま、もうひとつ思い出しました。最初に「気仙沼のどこが好き?」と聞かれてうまく答えられないと言いましたけど、気仙沼にはかっこいい大人が多いです。そこが好き。漁師さんも職人さんも、「まるオフィス」の先輩も、ふつうに町で出会った人のなかにも、男も女も関係なく、かっこいい大人が本当に多い。 そういう人生の先輩たちとの出会いのおかげで、私は気仙沼に移住を決めたのかもしれません。
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【募集締め切りました】11/23〜24開催 三陸情熱 縁結び大作戦〜石巻・女川編〜
定員に達しましたので、募集を締め切らせていただきました。たくさんのご応募ありがとうございました。 「移住体験恋活」ツアー♡開催します! 県・三陸沿岸部の移住定住を応援するチーム「三陸情熱界隈」(さんりくじょうねつかいわい)が、あなたの恋活をプロデュース&サポート。 県・三陸沿岸の海街を観光気分で巡りながら地元男性と出会う、一泊二日”地域交流”がテーマのツアーです。 現在、地域外から参加していただく女性を最大20名まで募集中です! 今回は石巻・女川編!「食」も「自然」も楽しめる秋の東北を満喫しながら、事務局が推薦する各地域イチオシ!誠実さがウリの地元男子たちと出会ってみませんか? 恋から始まる移住も全力サポート致します。まずはお気軽にお問合せくださいね! イベント詳細については三陸情熱界隈公式HPをご覧ください。 【開催日時】2019年11月23日(土・祝)、24日(日) 【集合】11/23(土・祝) 11時30分 JR石巻駅 【解散】11/24 (日) 17時 いしのまき元気いちば 【参加費】 8,000円(税込)(現地までの往復交通費、宿泊費、体験費、食費すべて含む) 【旅程】 ●1日目(石巻と女川)オリエンテーション、自己紹介交流タイム、スペインタイル作り、フリータイム、夕食 ●2日目(石巻・半島部)朝食、焚火と漁業のバーベキューランチ、フリータイム、マッチングタイム ●参加条件※女性限定※ 20歳~45歳までの未婚者および、現在恋人がいない女性 ●参加申し込みこちらのお申し込みフォームからお申し込みください。
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きょうのけせんぬま。【この夏のイベントを紹介します♪】
あ〜この夏、気仙沼を楽しみ尽くす!!〜 今年の夏のご予定はもう決まりましたか? 気仙沼では夏を楽しむプログラムをたくさんご用意して、みなさまをお待ちしています! 【気仙沼市観光公式HP 気仙沼さ来てけらいん】 2019 気仙沼夏のプログラム その中でも一押しは、この夏だけの特別なクルーズ♪ 気仙沼湾を夕暮れのなか出発、船上からみるライトアップされた新魚市場、そして大島大橋も下から眺められる特別なクルーズです。気仙沼のおいしいご飯と人柄を感じることができる素敵な宿との宿泊セットプランで、今年の夏は気仙沼を味わい尽くしてみませんか! 【気仙沼市観光公式HP 気仙沼さ来てけらいん】KESENNUMA BAY SUNSET & NIGHT CRUISING 他にも気仙沼の夏のイベントをひとつにまとめたイベントカレンダーもあります!気仙沼に来られる際にはぜひ事前にチェックしてみてくださいね〜♪ 【気仙沼市観光公式HP 気仙沼さ来てけらいん】夏イベントカレンダー
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【7月6日開催】第3回みやぎ移住フェア
みやぎで輝ける場所を探しませんか~地方の仕事と活躍~ 第3回目の開催となる今回のテーマは『地方の仕事と活躍』!!みやぎは、ほどよく都会でほどよく田舎な、人もまちも温かい土地です。 そんなみやぎでは、活躍の場を見つけ、いきいきと暮らしている方たちがたくさんいます。 今回のフェアでは、そんな方たちをゲストに迎え、”今感じているやりがい”などについてお話しいただきます。 気仙沼市も参加いたしますので、どうぞお気軽にお越しください! 開催概要 【日時】2019年7月6日(土) 17:30-20:00 【場所】NPO法人ふるさと回帰支援センター東京交通会館4Fセミナールーム C.D東京都千代田区有楽町2-10-1 【主催】宮城県【対象】どなたでも 【イベント内容】 ●プログラム 17:30 ~ オープニング 17:40~ トークショー 【先輩移住者】 ☆移住決心から現在までの経験談 ☆宮城でやりがいを見つけ活躍している事 ☆宮城に来て自身は輝いていると感じる事 18:20~ 個別相談会20:00 閉会 ●トークショーゲスト ・島本 幸奈さん(石巻市在住)「漁師の担い手を増やす!」を目標に、一般社団法人フィッシャーマンジャパンで活躍中! ・関口 雅代さん(東松島市在住)デザイナーのスキルを活かし、東松島市地域おこし協力隊員として活動中! ●参加自治体 石巻市・気仙沼市・登米市・東松島市・大崎市・村田町・丸森町・松島町・美里町 お申し込みTEL : 090-1559-4714(相談員直通) Mail : miyagi@furusatokaiki.net FAX : 03-6273-4404 チラシ裏面の必要事項を御記入の上、送信してください。 チラシはこちらお問合せみやぎ移住サポートセンター 営業時間 : 10時~18時 月・祝定休 TEL : 090-1559-4714(相談員直通) Mail : miyagi@furusatokaiki.net
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気仙沼Uターンマイプロバス2019参加者募集のおしらせ
気仙沼で高校生活を過ごした大学生&新人社会人のあなた!東京→気仙沼 無料バス「気仙沼Uターンマイプロバス2019」参加者募集 気仙沼で青春時代を過ごした同世代とともに楽しく帰省し、地元の高校生の心に火を灯しませんか? 東京から気仙沼まで楽しくおトクに帰省する、気仙沼に縁ある学生対象のプログラム! その名も「気仙沼Uターンマイプロバス」! 東京・仙台からの片道バスの乗車はなんと無料(タダ)! ただし! 乗車には条件があります。 それは、この夏から始まる「気仙沼の高校生マイプロジェクトアワード」、そのスタート合宿のマイプランブラッシュアップ会に参加すること。 親でも先生でもないちょっと先を行く先輩大学生の存在が、高校生を勇気づけ、自信をもって本番を迎える後押しができます。 アワード当日の夕方には、震災後気仙沼に移住してきたチャレンジャーや地元の若手経営者とのトークセッションも準備しています! 夏休みの帰省にあわせて、気仙沼Uターンマイプロバスを活用しちゃおう! 得られる5つの出会いと経験 本気のチャレンジをしようとする気仙沼の高校生との出会い 多様な出会いを通じてジブンの人生に向き合う経験 気仙沼に縁ある同世代の想いある新しい仲間との出会い 気仙沼の教育を動かす教育イノベーターとの出会い 気仙沼で活躍するかっこいいロールモデル社会人との出会い 【概要】 《日にち》2019年8月8(木)〜10日(土) 《集合時間・場所》東京組:8月8日(木) 20:00 東京駅付近(詳細の集合場所は、参加決定者に後日ご連絡します。)仙台組:8月9日(金) 早朝(場所と時間は未定です。参加決定者に後日ご連絡します。) 《行程》 ・8月8日(木)夜 東京駅集合・オリエンテーション→東京発 ・8月9日(金)朝 仙台経由→気仙沼着朝食・自由時間午後 MINATOワークショップ(仮)夕方 高校生合宿に参加して、高校生のマイプロジェクトのブラッシュアップに協力 ・8月10日(土)午前 高校生のプレゼン見学、午後 市役所訪問・市のまちづくりの近況報告夕方 地元経営者とのフリートーク・セッション(ワーク ショップを通して対話)※その後、地元経営者を懇親会も実施予定です。 《対 象》東京/仙台在住の気仙沼出身大学生/専門生・若手社会人 《参加費》無料 ※ただし、その他食費・(ホテル等に泊まる場合は)宿泊費・市内での移動費は自費でお願いします。 《定員数》15名 《主 催》気仙沼の高校生マイプロジェクトアワード実行委員会 《共 催》気仙沼市移住・定住支援センター MINATO 《協 賛》(順不同・敬称略)株式会社気仙沼観光タクシー --- ※気仙沼の高校生マイプロジェクトアワードとは: 高校生が「気仙沼のために何かチャレンジしてみたい!」という自身の想いを形にして実践してみる半年間の企画です。夏の合宿から始まり、年末には市長はじめ市民100名以上の前で成果を発表します。(主催:気仙沼市 協力:同実行委員会) ====================================================================== 【お申し込み】 お申し込みはこちらの申し込みフォームよりお申し込みくださいませ。 プログラムに関してのお問い合わせは、以下へご連絡くださいませ。 問い合わせ先:気仙沼市移住・定住支援センター MINATO TEL:0226-25-9119 E-mail:info@minato-kesennuma.com ====================================================================== 昨年度の活動をまとめた「気仙沼UターンマイプロバスCM」を作成しました! 動画はこちらからご覧頂けます。
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【6月29日開催】大学生限定!東京のけせんぬま会~夏の気仙沼の話をしようじゃないか~
気仙沼って、実は夏が熱いんです。 クーラー要らないくらい涼しいけど、でも、熱いんです。 どう熱いかっていうのは、来たらきっと分かるはず。 例えば、ゲストハウス架け橋では、こんな事を考えていたり…「『きっかけ食堂×ゲストハウス架け橋コラボツアー』〜食・学び・観光まるごと詰め込んだ気仙沼を堪能しよう〜」 ■日時 第1ターム:8月30日(金)〜31日(土) 1泊2日 第2ターム:9月6日(金)〜9月7日(土) 1泊2日「『気仙沼で過ごす非日常ツアー』~あなたの「非日常」を「日常」に~」 ■日時 2019年9月9日(月)~2019年9月12日(木)3泊4日 例えば、底上げでは、こんなことが行われていたり… SOKOAGE CAMP 他にも、たくさんの夏のイベントがあります。ちょっとでも気になった方は、ぜひ来てください。 来る前に、どれだけ熱いかをじっくり説明する場を作りました。気仙沼で楽しいことしてる、20代30代を連れていきます。 後半には美味しいご飯も待っています。 夏休みどう過ごそうかな、ワクワクすること何かないかな?と思っている方、どうぞお気軽に! お申込みは、こちら ~概要~ □ゲスト:村松ももこ氏・木原葵氏(気仙沼ゲストハウス架け橋)横山沙織氏・成宮崇史氏(認定NPO法人底上げ)加藤拓馬氏・根岸えま氏(一般社団法人まるオフィス) □日時:令和元年6月29日(土) 18:00~21:00 □場所:東北酒場トレジオンポート〒107-0052 東京都港区赤坂3-12-18 第8荒井ビル2F □定員:40人程度 □参加費:3500円 □タイムライン: 17:30 開場 18:00~19:00 夏の長期滞在型プログラム紹介コンテンツ 19:00~21:00 交流会 □問い合わせ先 気仙沼市移住・定住支援センター MINATO TEL:0226-25-9119 MAIL:info@minato-kesennuma.com
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【4月13日~14日開催】気仙沼企業訪問ツアー2019
気仙沼に帰りたいな。とか 気仙沼で働いてみたいな。とか 考えてみても、イメージはなかなか湧かないと思います。 気仙沼はとっても繋がりの多いまちです。 ベッドタウンでも、働きに来るためだけの場所でもありません。 「はたらくことは、暮らすこと。」 その「感じ」に触れてもらいたい、その為の企画をご用意しました。 企業訪問だけでなく、気仙沼でイキイキ活動している団体も訪ねます。 ここでは、暮らしの中の等身大のチャレンジにたくさん出会えます。 自分も何かできるんじゃないかな、何かしてみたいな。そんな気持ちになるはず。 みなさんを、気仙沼が楽しくてしょうがない地元の団体がアテンドします。 どうせだったら、気仙沼でワクワクして働きたい。 どうせだったら、気仙沼でワクワクして暮らしたい。 きっとそのお手伝いができる、企業訪問ツアーです。 ****概要**** 日にち:2019年4月13日(土)・14日(日) 場所:各企業、□ship(気仙沼魚市場前7−13) 訪問予定先企業: ※企業から3社を、訪問していただきます。 訪問先企業は、なるべくご希望に沿えるよう、調整します。 訪問先は決定次第個別にご連絡致します。 (株)気仙沼商会 気仙沼市民の生きる術、ガソリン販売をされています!そのほかにも、車などの保険、住まいの商品の提案も! 気仙沼では主流 のLPガス配送や、ストーブに使う灯油など、生活に密接しています! 気仙沼市民のライフラインを支える企業です! 公式ホームページはこちら (株)小野寺鐵工所 これぞ気仙沼!創業70年、船を支える技術系企業です! 船以外にも、各種プラントや産業機械の設計・開発・製造等、さらなる飛躍にチャレンジしています。 港町気仙沼の未来を切り開いている会社です! 公式ホームページはこちら (福)キングス・ガーデン宮城 ケアハウス・グループホーム・特別養護老人ホーム・ショートステイ・障害者就労支援事業の運営等を多岐にわたり総合的に地域の福祉サービスを提供している企業です! 福祉に携わりたいと思っている方なら、自分の挑戦したいことのお話が聞けること間違いなし! 公式ホームページはこちら アサヒ冷熱(株) 家庭用の空調設備から業務用の空調・冷暖房・冷蔵冷凍設備の整備からメンテナンスまでを行う企業です! 公式ホームページはこちら (株)パートナーズ ソーラーパネルの設置を行っている企業です! 「人ありきの会社」という経営ビジョンのもと、「働く」を通して自分の人生を広げていく、そんな会社です。 こちらの企業の採用ページはなんとインターンの学生が作成しました。読めばどんな会社か分かりますよ、ぜひ! 公式ホームページはこちら ㈱カネダイ カニやエビの水産加工企業です! カニの実などの加工品ももちろん、パスタソースやビスク、カレーなんて商品開発もされています。 斬新な商品開発をどんどんされている加工屋さんです! 公式ホームページはこちら アーバン㈱ 気仙沼の冠婚葬祭を担う企業です! 大川の側にあるゲストハウスアーバン気仙沼は、気仙沼の風景そのもの! 「地域の人に愛される経営」をモットーに、人とのつながりを大切にしたお仕事をされています。 公式ホームページはこちら プログラム参加費:無料(飲食費/懇親会費自己負担) ※交通費/宿泊費支給有り(上限¥15,000) 県外からの訪問は、補助金がでます。 詳しくはこちら 実施プログラム(予定) 4月13日(土) 12:00 気仙沼駅集合、昼食、移動 13:30 企業訪問1社目 15:30 企業訪問2社目 17:20 振り返りワークショップ@□ship 18:30 けせんぬまwelcome party参加(飲食付き 参加費:2500円) 4月14日(日) 9:00 企業訪問3社目 10:30 市内での新たな取組みを訪問 12:00 お昼(市内レストラン1000円程度を予定) 13:00 振り返り 14:00 気仙沼駅解散 詳細は決定次第ご連絡します。 ※キャンセル キャンセルする場合は、前日までにご連絡ください 申込:下の申し込みフォームからのお申込みをもって完了となります →申し込みフォーム← 問い合わせ先: 気仙沼市移住・定住支援センター MINATO TEL:0226-25-9119 MAIL: info@minato-kesennuma.com
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【3月21日開催】東京のけせんぬま会~気仙沼から大集合!~
\\"気仙沼"なひと、あつまれ〜!// 東京でも、気仙沼つながりで集まりたい! そんな声ではじまった「東京のけせんぬま会」、3月に開催です! 今回なんと気仙沼勢13名!たくさんの今気仙沼に暮らす方々をお招きしております! 13名もおりますので、感じ方は人それぞれ。私が知らないこんなことあんなこと、あの人なら知ってるかも。 気仙沼のこと何でも聞いちゃえ!ということで、気軽に呑みながら食べながら! お待ちしております-! ■イベント概要■ <日にち> 3月21日(祝・木) <時間> 18:30〜21:00 <場所> 東北酒場トレジオンポート (東京都港区赤坂3-12-18 第8荒井ビル2F) ・千代田線・赤坂駅から徒歩1分。 2番出口を出て、右方向。坂をくだりながら左手の「すし好」と「吉野家」の間の道(みすじ通り)に進みます。そのまま真っすぐ歩いて一分未満。右手に「龍神丸」という土佐料理のお店が見えたらその2階店舗です。螺旋階段を登って店頭へお越し下さい。 ・赤坂駅から234m <定員> 先着40名 <会費> 社会人4000円、学生3000円 <こんな人にオススメ!> ▶︎気仙沼に住んでいた!行ったことがある! ▶︎気仙沼のおいしい魚介類がたべたい! ▶︎気仙沼の「今」がどうなっているか興味がある! ▶︎気仙沼つながりの人たちと出会いたい! などなど、ふらっと気軽にお越しください♩ 友人同士はもちろん、おひとりのご参加も大歓迎です。 みなさんのご参加、お待ちしています! ■お申し込み ▶︎▶︎▶︎申込みフォーム◀︎◀︎◀︎こちらでの記入を持って申込完了となります。 ■主催 気仙沼市移住・定住支援センターMINATO TEL: 0226-25-9119 MAIL: info@minato-kesennuma.com ※キャンセルについて キャンセルのご連絡は、2日前までにお願いいたします。 (キャンセル料:2日前0% / 前日50% / 当日100%)
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【UIターンインタビュー】気仙沼には夢を否定する人がいませんでした。
タイミングと勢いで決めた気仙沼移住。 生まれ故郷の岩手・盛岡から気仙沼へと移住を決めたのは、24歳の時でした。きっかけは「ぬま塾」という、気仙沼の先輩たちから若い世代が学ぼうよみたいな会。先輩の失敗談や、起業した人、家業を継承した方のストーリを聞ける会だったんですけど、とにかく、お話される方がみなさんおもしろかったんですよ。 それで、ぬま塾の聴講生とも友達になって、気仙沼へ遊びに来るようになりました。移住以前に住んでいたところもすごく好きだったんですけど、気仙沼に週2〜3回は遊びに来ていたので「これはもう住んじゃったほうがいいのかな?」と思いはじめた頃に、同じ年の友達の女の子が「私も気仙沼に住んでみたいんだよね」なんて言い始めて。一緒に物件を探して気に入ったものがあって、すんなりと移住が決まったんです。若さゆえの勢いもあったと思います。 当時は、陸前高田の宿泊施設で働いていました。だから、移住後は気仙沼から陸前高田まで通勤していたんですけど、仕事は楽しかったです。私はもともと環境に興味があったんですけど、その職場は「木と人を生かす」がコンセプトでした。地元の樹を使った建物で、蒔ストーブがあって、ごはんも地元のものだけを提供する地産地消な宿泊施設で。お客様も素敵な人が集まってくるところだったんですけど、結婚を機に退社させてもらいました。 実は私、その宿泊施設がふたつめの就職先なんです。 ひとつ目の就職先も環境にまつわる仕事ではあったんですけど、クビになっておりまして(笑)。その理由はひとつ目の会社の環境が悪かったとかではまったくなくて、完全に自分自身の問題でした。いま振り返ると「あの頃の私とだったら、私でも一緒に働きたくないなぁ」と思うほどに、超ネガティブでしたし、思っていることは言わないくせに、「これは違うんじゃないか」と感じることへの反感だけはやけに強くて上司に歯向かったりとかして。若かったこともあり、とがっていたのだと思います。 新しい価値観と友。ぬま大学での出会い。 気仙沼では、「ぬま塾」のほかに「ぬま大学」というプログラムにも参加していました。「ぬま大学」は、気仙沼でなにかをやってみたいという人が、月1回×6回の半年間にわたって、それぞれの「マイプラン」を練っていくんですけど、「まちの講師」と呼ばれる方の講義も、一緒に参加している同世代の若い人たちも、おもしろい人たちばかりでした。この「ぬま大学」での経験も、気仙沼で暮らしていこうと思えた大きな理由のひとつだったのかもしれません。 私は、2018年の8月に開業した「みんなのたんす」という、会員制の子ども服シェアリングサービスや、岩手県産の小麦粉だけで作るパン製造を仕事にしているんですけど、それらの事業のベースには、環境への興味があるんですね。でも、実際に開業したいまはまだしも、準備段階の夢物語にすぎない頃だと、ふつうの大人や先輩たちって、「なに夢見てんだよ?」とか「甘いね。現実を見ろ」とか、否定することがほとんどだと思うんです。でも、「ぬま大学」は……もっと大きく言えば気仙沼では……自分の夢を否定されることがまずありませんでした。そりゃあ、どこにだっていろんな人はいますから否定がゼロではないんですけど、99%以上の人から「おもしろいじゃん!」「やりなよやりなよ!」みたいに背中を押してもらえて、それがとってもうれしくて。 とはいえ、私の一番の夢って、実は世界平和なんです。 夢にしても大きすぎますよね(笑)。なので、あまり口に出して語ることはないのですが、本当に昔から真剣に考え続けていることではあります。きっかけは9.11、アメリカの同時多発テロ事件。私には兄がいるのですが、たまたま9月11日が兄の誕生日でした。 あの日の私はまだ小学生でしたし、兄も中学2年生とかだったんですけど、衝撃的なあの事件の報道に触れた兄は「これから先、俺の誕生日は一切祝わなくていい」と以降の誕生日でもケーキを本当に口にしなくなってしまって。その経験がものすごく悲しくて世界平和を真剣に考えるようになったんです。国境なき医師団など、医師への道を目指したこともあったんですけど、残念ながら学力が追いつかずあきらめました。でも、だからこそ、「世界平和のために自分になにができるか?」は、ずっと考え続けてきたテーマでした。 実は、「ぬま大」で同世代の人と仲良くなるまで、「実際に口に出し合ったりしなくてもみんな世界平和を願っているんでしょ?」と思っていたんですけど、どうやらそうでもないんだなと気づかされまして(笑)。みんなが真剣に考えているのは、地域を元気にしたいだとか、気仙沼で新規事業を起業したいだとかだったんですよね。 正しいよりも笑顔。「みんなのたんす」で目指したこと。 その気づきは、私にとって有意義なものでした。 たとえば、資源について。私個人としては、物質的資源が不足すると争いが起きるという認識があって、だからこそ資源を大切にするのは世界平和にもつながっていると考えていたんですね。でも、そういう自分の思う「正しい」ことでも、他の人にとっては価値観の押し付けでしかないこともあるんだなぁって。そういうことを「ぬま大」で知り合った仲間たちと交流するうちに気づけたのが有意義だったんです。 だから、子ども服という資源を有効利用したい「みんなのたんす」では、「正しい」よりも、「笑顔」を大切にしたいと考えています。 「みんなのたんす」は、会員になるとストックしている子ども服を利用できて、かつ、不要になった服の引き取りもやらせてもらっています。ということは、ここに集まってくる子ども服って一度は誰かに選ばれたものたちなので、いい子ばかりが集まってくる。しかも、以前の持ち主たちにとっても思い出の服を捨てなくてもすむ。つまり、みんなが笑顔になれる。岩手のパン作りもそうで、私は同県産の原材料を使えば、海外から輸入する時のようにガソリンなどの燃料費がかからないから環境にもやさしい、つまり、世界平和につながるという考えがあるんですけど、お客さんはそんなに難しいことを考えてくれなくてもよくて、単純に「おいしい」と笑顔になってくれたらそれだけで私もうれしいですから。 いまの私の夢は、ふたつあります。 ひとつは、パクられること。自分で考えておいてなんですけど、「みんなのたんす」は本当にいい仕組みだと思うんですね。でも私はこの仕組みで儲けようだなんて一切思っていないので、どんどんパクっていただけたらうれしいです。フランチャイズ料なんて1円も取りませんから(笑)。もしも、イタリア版「みんなのタンス」が誕生したとかしたら、それこそ世界平和にもつながるわけで、こんなにうれしいことはありません。 失敗からはじまった移住で思うこと。 移住ってどういう経験なんでしょうね。 私自身は、気仙沼で結婚もしましたし、本当に幸運な経験だったと感じています。ひとつだけ不思議なのは、実は私と気仙沼のはじまりって、クビになった最初の会社がきっかけだということ。 会社の上司は、尖っているだけで使えない新人だった私を「つなプロ」というプロジェクトの気仙沼代表の川崎さんという方の元へ研修に出してくれたんです。当時の川崎さんは気仙沼の大島にいらしたんですけど、何度、泣かされたかわかりません。あ、いじめられたとかの涙じゃなくて感動のほうですよ(笑)。 「もっと自分を抱きしめてあげなさい」と言ってもらっては泣き。 「棘を包みこむような人間になりなさい」と言ってもらえては泣き。 私は川崎さんのことを、いまでも勝手に師匠と思っているんですけど、のちに「ぬま塾」に誘われた時に「行ってみようかなぁ」と、すっと思えたのは、師匠との気仙沼・大島での研修生活が楽しかったから。気仙沼の印象がいいものでしかなかったからでした。 そういう意味では失敗ってなんだろうなぁとも感じています。 世間的には、クビになっているわけで私のひとつ目の就職は「失敗」に分類されるはず。でも、その失敗がなければいまの気仙沼生活はないかもしれないわけで、あの頃、歯向かってしまった上司には、「ごめんなさい」の代わりに「ありがとうございます」と心からお礼を言いたいです。 最後に、もうひとつの夢のお話しをさせてください。 これは夢というよりも誓いかもしれないですが、次の世代の若いひとたちの棘を折る人間にだけはならないぞということ。私が移住を決めた気仙沼は、とがっていた頃の私も包みこんでくれる先輩や仲間ばかりで、だからこそいまもうこうして笑って暮らしていられる。ひどく抽象的ではあるのですが、目には見えないそういう“想い”のようなものを伝えていきたい。地元の岩手から気仙沼という土地に移り住んでプレゼントしてもらえたものを、次の世代の人たちに渡せていけたらと思っています。