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コラム#旅人編1-6 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている このまちでは、広い海が私たちの心を大きくさせ、行き来する船が私たちの夢を大きくさせるのかも。 海を、港を、眺めているとそうやって思った。 どこまでも続く海を見ていると、狭い心でものごとを考えていても仕方ないと思う。 大きな船に乗り込んで海に出ていく人を見ると、夢は大きくていいと思う。 私たちは“ちっぽけ”なんかじゃないよ、と言われているような気がした。 気仙沼を歩いてみたら沢山の発見があった。祈りが根付いていて、たくさんの人や物が海を介して行き来している。 この海で、世界とつながっている。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-4 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 世界とつながっている、と感じられる場所は気仙沼にたくさんあるけれど、魚市場のすぐ裏にある「みしおね横丁」にある「ワルーンマハール」もそういう場所のひとつだ。 お店のすぐ向かいには、ムスリムの彼らが礼拝をするための小さなモスクもあるみたい。 いま、気仙沼船籍の船には多くのインドネシア船員がいるという。そんな彼らの写真がぎゅうぎゅうに貼られたボードから、この場所に刻まれてきた思い出を想う。 異国で暮らしていて、大変なことはなかったかな?漁師として成長できた? いまはもう海の先のインドネシアに帰っていった人もいるのかな、元気にしているかな。 およそ5000kmも離れている海のその先へ、思わず語りかけたくなるようなランチタイムだった。 「ミーゴレン」は日本でいう焼きそばみたいな感じで美味しかったな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-3 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼港を歩いてみると、白い船たちが並んでいる景色がとても眩しい。風の強い日が続いていたので、大きな船もたくさん停泊していた。 船の中にも漁師さんらしき人がいて、次の出港に備えていろいろ準備しているみたい。 車もよく行き来していて、運転席から顔を出してちょっとした会話に花も咲く様子。 そういえば、どの船にも渡し橋がある。こんなに細い、はしごみたいな道から広い広い海に出ていくんだな〜と、驚きつつ途方に暮れた。 この橋が、陸(おか)と海をつなぐ道。ここから世界の海へ。ここを歩く漁師さんたちの背中を想像して、少し見上げるように写真を撮る。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-12 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 気仙沼はこの13年で、 まちも、人も、ものすごく変化してきた。 東日本大震災をきっかけに 移住したり、関わりを持ったりした人がたくさんいて、 そのご縁は今でもずっと続いている。 だから、絶対まちは良くなる。 そこから生まれるものだって、たくさんある。 大丈夫だ。 無責任な言葉に聞こえるかもしれないけれど、 気仙沼からだから届く言葉だと思う。 大丈夫。 明るい方に、歩いていこう。 photo by kohei shikama ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-11 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 あの日から13年目を迎えて、かずえさんはどんなことを思っているのだろうか。 「まずは、生きててよかったなって。本当に、生きててもらってありがとうって。こうやって13年目を迎えられて、ありがたかったな、幸せだなって。このまちにいる人たちとか、まちから出て行った人も、どこにいる人も、みんなとにかく生きててよかった。 もう二度と、人の命が失われるような、こんな目には合いたくない、二度とね。けど、この13年間、悪いことばかりではなかったなと。”おかげ”って言うのは違うと思うけど、震災があった”から”、出会えた人とか、起きたことが、ずいぶんあるなって。それがありがたかったなって思います 気仙沼は、もちろんできてないこともあるけれども、変われたところもある。だいぶ変われたという自負があるから、また変わろうっていう心映えがある。『もっと変われるかもしれない』って思えたことは、一番良かったことじゃないでしょうか」 気仙沼から、能登の人たちに伝えられることってなんでしょうか、と改めてかずえさんに聞いた。 「気仙沼も、震災以前は閉塞感でいっぱいだったんです。『変わらざるをえない』っていうことが、必ずいいエネルギーに変わるんだと思うの。全国からたくさんの方が手を繋ぎましょうって言ってくると思うし、その人たちと一緒に何かをすることで、これまでしがらみで動けないと思っていたことが、大きく動くきっかけになる。 生きている人たちは、いろんなことを負い目に思ってると思うけど、明るいものを見てほしい!明るいことをじゃんじゃん見て、そっちに向かったら、きっといいことがあるんですよ。能登の人も、もっとよく変わる。それは必ずそうだと思います」 「必ず」というかずえさんの言葉は、「大丈夫だから!」と背中をたたいてくれてるような感じがした。 (4/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-8 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 3人目に会いに行ったのは、気仙沼自慢の豊かな食を全国の食卓に届けている斉吉商店 @saikich_syouten のかずえさん。明るくて、活発で、話すと元気をもらえる人だ。 2011年の3月11日。食品加工の工場、店舗、本社が津波の被害にあった。事前に有事の対応について共有できていたため、従業員が全員無事避難できたのが、不幸中の何よりの幸いだった。 2日後の朝、かずえさんは本社や工場がどうなったかが気がかりだった。「危険だから駄目だ」と言われながらも、いてもたってもいられず、がれきの中を何時間もかけて歩いて見に行った。建物のあった場所は変わり果てていた。火事で真っ黒に焦げた船とまちを見て体が冷たくなる思いがしたという。その時、思いもよらぬ光景がかずえさんの目に飛び込んできた。 「そこにね、真っ白い船が入ってきたの。無傷の船。もう、唖然とした!綺麗で。空も青くて。そうか、沖に出ていた船は無事だったんだ!って。無傷の、たった一つのものみたいに見えたんですよね」 全部ダメだと思った時に見たその光景は、明るい気持ちを思い出させた。 「起こってしまったことって、どうしようもないじゃないですか。だから、少しでも明るい声を出したり、笑ったりできるものを探していたように思います。だって不安でたまらないわけだから。みんな『少しでも明るい話をしよう』って意識があったと思います」 無理をしてでも、少しでも明るくいること。それは自分の気持ちを保つために必要なことだったのかもしれない、と話を聞いていて思う。 (1/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-6 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 高校卒業後の進路は、大学でまちづくりを学ぶことに決めた。 ずっと東京に出たい気持ちもあったし、気仙沼で出会った大人で一番影響を受けた、まるオフィスのたくまさんが学んだ大学だったからだ。 たくまさんのどういうところに影響を受けているのか聞くと、「常に新しいところですね。変化しようとしているところ。一緒にいて面白いなって思います」とゆきちゃんは言う。 大学生になってからもたくまさんとのつながりは絶えず、探究学習の学生コーディネーターとして気仙沼に関わり続けた。 「気仙沼には大学がないから、ちょっと歳の離れたお兄さんお姉さんって、憧れがあったんです。自分が子どもの頃も、大学生が企画したワークキャンプとかに参加して会う機会があって、それで自分もやりたいって思ったんです。あの時はしてもらったから、自分がサポートする側に回ろうって」 元々地元を早く出たいと思って東京へ行った彼女は、今の気仙沼をどう思っているのだろう。 「大学にきて思うのは、帰ってこれる場所があるって良いなって。『ただいま、おかえり』って言ってくれる場所。周りから、ふるさとがあることを「良いな」って言われることが多いんですよ。あとは、面白い人が多いですね。自分の好きなこととかやりたいことを持っていて、自分の人生を生きている人」 東京と気仙沼。大学生活を過ごしながら気仙沼とも関わり続けて活動するのは、簡単ではないだろうなと想像する。それでもずっと気仙沼に関わり続けるのは、なぜだろう。 「声をかけてくれる人たちがいて、その人たちが面白いからです。やる時はちゃんとやるし、ふざける時は全力でふざけるし。そういう大人って良いなって思うし、一緒にいたい、関わっていたいって思います」 かつては、ここには何もないと思っていたゆきちゃん。だけど今、「面白い」と思う人たちは気仙沼にいて、いつも刺激をもらっているのだ。 (2/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-5 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 次に会いに行ったのは、気仙沼出身でこの春大学を卒業したゆきちゃん。 学業に励みながら、気仙沼に定期的に通って地元の高校生たちの探究学習をサポートするなど、高校を卒業してからも積極的に気仙沼と関わり続けている人だ。 「もともとは地元が嫌いだったんですよ。テレビ見てると東京のイルミネーションとか原宿の竹下通りとかが映って、それに憧れてました。ふと見たら、ここには何もないなって思って」 東日本大震災の時は小学3年生。当時、復興ボランティアとしてたくさんの人が気仙沼に関わり、「このまま気仙沼の復興を手伝いたい」と移住する人もいた。夕妃ちゃんは、移住者たちが企画するまち歩きのイベントに参加するようになった。 「移住者の人たちは、歩きながら分からないことが出てきたら、地元の人たちに『これはなんですか?』と聞いて面白がっていたんです。自分は都会に憧れていたし地元を早く出たいと思っていたから、『変なの』って思ってました。それから、『漁師さんってかっこいいよね〜!』と話す方もいて、衝撃的でした。父と祖父が漁師だったので、当たり前すぎて感覚が分からなくて。自分の方が長く住んでいるのに、移住してきた人たちの方がこのまちの良さを知っているのは、悔しさもありました」 いつのまにか、嫌いだった地元を「そういう見方もあるのか」と捉え方が変わっていった。それまでは学校と家を行き来するだけだったのに、週末は大人たちと会うようになり、それがとても楽しかった。 「『こういうイベントあるよ。来ない?』って声をかけてくれるんです。『この大人が言うなら絶対楽しいだろう!」って思って参加してました。楽しいことをやってくれる、ワクワクさせてくれる大人だなと思っていました」 高校生になると、これまた楽しそうな大人たちに誘われて探究型のプロジェクトに参加。探究することの面白さを知り、世界をどんどん広げて行った。 (1/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-2 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 浅草の仲見世通りにある、梅干しと定食の店「梅と星」@ume_to_hoshi へ。 鶴亀食堂がここでイベント的に気仙沼産のカツオやわかめ、メカジキを出したり、斉吉商店が海鮮丼を出したりしたこともあり、東京と気仙沼をつなぐ場所にもなっている。 この場所を運営するのは、株式会社バンブーカットの竹内順平さん。 「気仙沼漁師カレンダー」を気仙沼つばき会と一緒に制作してきた、気仙沼と切っても切れないご縁の方だ。 竹内さんが始めて気仙沼を訪れたのは、2012年にほぼ日が開催した「気仙沼さんま寄席」の時。当時は大学を卒業したてで、ほぼ日のアルバイト未満のような状態。お手伝いのような、付き添いのような、そんな形でスタートした。それから「気仙沼のほぼ日」ができて、通う理由ができた。 「何かと手を挙げて、力になれるなら、なんでもやります!って感じでした」 2年ほど働いたほぼ日を卒業してまもない頃、ご縁あって漁師カレンダーの制作に携わることになった。 「ほぼ日にいられたおかげで、微力ながらも力になれる環境にいられたんですけど、卒業したらなんの力にもなれなくて、関わり続ける仕事をつくることもできなくて。そんな中でいただいたお話しだったので、ご縁が切れなかったという喜びは、すごく大きかったですよ」 これまでとは違って、自分でプロジェクトを回していかなきゃいけない中で、どうしたら力になれるのかたくさん考えたという。そして今年、最終章となった10作目が完成した。 「本当に力になれたのか、今も答えはわからないです。でも、なってると思ってもらえたら良いなと思います」 答えはわからない。そう話す竹内さん。どんな思いで気仙沼に関わり続けてきたのだろう。 (1/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-1 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 2024年の1月1日、能登半島地震が起こった。 テレビからは、力強い声で情報を伝えるキャスターの声。 L字バーに津波の到達情報が映し出されている。 みんな逃げてほしい、助かってほしいと祈るしかなかった。 テレビ越しに感じる緊迫した状況の中で、ふとよぎったのは 「あの日、気仙沼もこんな風に見られていたのかな」ということ。 13年前のことを、自然と思い出していた。 この13年、いろんなことがあった。 まちは時間をかけて変化してきた。 そして本当にたくさんの人が、気仙沼に関わってくれた。 気仙沼でがんばる人も、 離れたけどずっと思いを寄せる人も、 あの日を機に気仙沼に関わり続ける人も。 一人ひとりに、13年間の軌跡と、思いがある。 東日本大震災を経験した気仙沼だから 伝えられることがあるんじゃないか。 大げさかもしれないけれど、きっとあるはず。 そう思って、3人の方に会いに行くことにした。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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【NEWS】気仙沼市子育て・教育コンセプトブックを作成しました!
気仙沼での子育て・教育の魅力を市外の方に伝える冊子『気仙沼市子育て・教育コンセプトブック 君の18年を一緒に歩こう』ができました! 気仙沼の海のような青い色と子どもたちの楽しそうな姿が印象的な表紙。 全31Pにわたって気仙沼の特徴的な子育ての魅力や支援制度をまとめて掲載しています。 「子どもにはのびのびと育ってほしい」 「親も子も余白を持てる子育て環境がいい」 と思っている方に、気仙沼での子育てスタイルを知っていただきたいです。ぜひご覧ください。 今年から親子おためし移住というプログラムをはじめて、気仙沼での子育ての豊かさを改めて実感しています。 地域の人たちがあたたかく子どもたちの成長を見守ったり関わったりしている瞬間を目の当たりにするたびに この空気感や具体的な取り組みをぜひ市外の人にも知ってほしいと強く思います。 そしてぜひ一度、気仙沼に来て滞在してみてほしい。 そんな願いを込めて制作しました。 子どもたちがいきいきと過ごす普段の様子を伝えるべく、冊子内の写真はほとんど撮り下ろしています。 これが、どれもとっても素敵なんです! 子どもたちや保護者の方、学校や地域の皆さんが快くご協力いただいたおかげでこの冊子ができました。 配置場所 ・ MINATO窓口(気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ2F) ・ふるさと回帰支援センター宮城県窓口(東京・有楽町) 目次 03 ある親子の日記 16 気仙沼で過ごす18年 活き活き育つ子育て・教育支援 20 「きっともっと楽しくなる」を追求する気仙沼の取り組み <けせんぬまコレクティブインパクトプラットフォーム コソダテノミカタ> <気仙沼学びの産官学コンソーシアム> 24 保育所体験付き!気仙沼親子おためし移住 26 子育て世帯への支援制度一覧<気仙沼の子育て/子育てサポート/妊娠・出産サポート> 28 移住に関する支援制度一覧<移住サポート/仕事サポート/住まい探し/相談窓口> 30 気仙沼はこんなところ この冊子をつくった背景 気仙沼市では近年、子どもたちが思いっきり探究して学べる環境をまち全体でつくっていく「学びの産官学コンソーシアム」の立ち上げや、ふるさと納税を活用した教育パッケージに10年間で18億円規模の投資をするなど、子育て・教育への支援を充実させています。 また、みんなで子育てを良くしていこうとつくられたコレクティブインパクトプラットフォーム「コソダテノミカタ」をはじめ、民間プレイヤーの働きかけもあり、気仙沼市は「子育てしやすいまち」のイメージが定着しつつあります。 そういった気仙沼の魅力をより対外的に広めていくにあたり、これまでなかった子育て教育に特化した冊子を作ることにしました。親子おためし移住の制度を活用してぜひ気仙沼での暮らしを一度体験していただけたらうれしいです。 ----------------------- 発行:宮城県気仙沼市 企画・制作:気仙沼市移住・定住支援センター MINATO 編集・ライティング:谷津千里(Bottoms) 写真:菅原結衣 写真提供:NPO法人浜わらす、志鎌康平(六)、志田ももこ デザイン・イラスト:白田亜悠 制作協力:けせんぬまコレクティブインタクトプラットホームコソダテノミカタ 印刷:今野印刷株式会社 -----------------------
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コラム#3-5 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 「気仙沼勝手に環境庁」( @kankyo_ksnm) やりたいから、「勝手に」環境に優しいことを学び、実践する仲間が集まっているコミュニティ。最初はあすかさんが旗を立て、活動していくうちに仲間が増えていき、今は20人以上のメンバーがいる。 私は、詳しいわけでも実践しているわけでもなかったけれど、環境に優しくなりたくてメンバーになった。まずは知ることから、参加することから始めようと思い、これまで開催されたイベントに参加してみた。 廃棄されるはずだった食材を集めて作った料理を振る舞う「もったいないキッチン」、古着屋、キエーロ作りワークショップなどを盛り込んだイベント「勝手に環境通り」。ギフト経済のトライイベントとしてお金ではなくみんなが持ち寄った食材をシェフが美味しく料理してみんなでいただく「もちよりキッチン」。エコバッグやタッパーを持ち込んで必要な分だけ欲しいものを買える「量り売りマルシェ」。コンポストの勉強会などなど。 参加するうちに、自然と「環境に優しいことってなんだろう?」と考える時間が増えたし、知らない間に自分の価値観がどんどんアップデートされていることに気づく。 私はまだ誰かの「勝手に」にのっかって楽しくやっているけれど 自分の「これやりたい」にみんなを巻き込めるようになりたい。 一人でできることには限界があると、仲間が増えて気づく。 みんなと一緒にやるから、楽しい。 写真提供 矢野明日香 ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから