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【宮城初!】保育所体験ができる!「気仙沼親子おためし移住」募集開始!
【特別な体験が、日常になる。】気仙沼親子お試し移住 プロモーションビデオ 対象者 ① 代表者が申込時に20歳以上の方 ② 気仙沼市外にお住まいで、現在気仙沼市への移住を検討している方(移住時期は問いません) ※観光目的や帰省、通勤のための宿泊施設としてのご利用は受け付けておりません。 ③ お子さんのいる市外在住のご家族 ※申し込み時現在、3〜5歳(年少〜年長)のお子さんは保育所体験が可能* ④ 滞在後のアンケートや写真の提供など、当事業の改善・広報PRにご協力いただける方 *【利用できるお子様について】 本プログラムでは持病等をお持ちのお子様についてはご利用いただけない場合がございます。ご心配な点がある場合には事前にお問い合わせください。 入居可能期間 令和6年7月13日(土)〜令和7年2月28日(金)の期間の中で最短1週間から最長2ヶ月まで利用可能 ※一部利用不可期間あり 入居施設 ● 市営唐桑大沢住宅104号 住所:気仙沼市唐桑町台の下15番地 利用想定人数:4人(※5人以上でご利用される場合の備品・生活用品のご準備はご利用者様にお願いしております。) その他、詳細・写真はこちら 利用保育所 気仙沼市⽴唐桑保育所 気仙沼市立鹿折こども園 (お申し込み時期によってどちらかの施設でのご対応とさせていただきます。原則お選びいただくことはできませんのでご了承ください。) 写真は唐桑保育所の日常風景 利用料金 滞在費 15,000円/月(施設利用料12,000円・水道光熱費3,000円) 保育料 10,000円/週 例: ①1ヶ月(4週間)の場合の利用料金 滞在費1ヶ月分 15,000円 保育料4週間分 40,000円 合計 55,000円 ②1.5ヶ月(6週間)の場合の利用料金 滞在費1.5ヶ月分 22,500円 保育料6週間分 60,000円 合計 82,500円 ③2ヶ月(8週間)の場合の利用料金 滞在費2ヶ月分 30,000円 保育料8週間分 80,000円 合計 110,000円 付属物品 生活に必要な家具・家電・寝具などはご用意しております。 家具家電や生活用品など、備品一覧はこちらからご確認いただけます。 ※アメニティや食材・調味料などは利用者負担(持参)でお願いします。 ※4人分の備品・生活用品を準備しております。それ以上の人数でご利用される場合はご自身でのご準備をお願いします。 交通事情 入居施設から保育所までは車で10分かかります。 滞在中は、自家用車またはレンタカーでの移動を推奨します。 利用開始フロー お申込み ●申込期間 令和6年6月4日(火)から ※申込みの3~4週間後より利⽤可能。2ヶ月先までの予約が可能です。 受付期間前の仮予約等はできませんので、予めご了承ください。 お申込みはお申込みフォームよりご入力ください。 *注意【利用開始日について】 ・日曜日・月曜日・祝日の利用開始日・終了日の設定にはご対応できません。 ・利用開始日・終了日は、火曜日〜土曜日のいずれかの日程でのご予約をお願いいたします。 ・お申し込み状況によっては、ご希望の滞在日程に添えない場合があります。詳しい日程調整は面談時に相談させていただきます。 ●まずはスタッフに長期お試し移住についてオンラインで聞いてみたい方はこちら 面談 オンライン会議システム「zoom」を使った面談を行います。 面談では申込の動機や滞在中に希望されることをご確認させて頂きます。(「zoom」使用が難しい方はご相談ください) 申請 面談後、利用許可が下りましたら、申請書のご提出をお願いしております。 ご提出後、利用可否決定通知書もって利用決定となります。入居が決定した方には入居までの日程等の調整をさせていただきます。 *申請書をご提出いただいた後に確認に3週間ほどお時間がかかりますので、早めのご提出をお願い致します。 その他 ● テレワークが可能な方は、市内の会員制シェアスペース「□ship(スクエアシップ)」を無料でご利用いただけます。 ● 本プログラム(お試し移住補助金、お試し暮らし住宅)では保険の加入は含まれておりません。 参加期間中の事故等については、市は一切の責任を負いかねます。 お試し移住プログラム参加のご出発の前に、利用者様ご自身で国内旅行損害保険等にご加入いただくことをおすすめ致します。 ● 体調がすぐれないと感じた方は、参加前・参加後にかかわらず、すみやかにご連絡ください。 ▶□ship(スクエアシップ) お試し移住事業関連書類 気仙沼市お試し移住事業(災害公営住宅活用型)実施要綱(令和6年度以降) お申し込み ●まずは制度について詳しく聞いてみたい方はこちら ●親子おためし移住の申し込みフォームはこちら 気仙沼へのアクセス 気仙沼の子育てについて 気仙沼での子育てに関する施設やイベントなどが気になる方はこちらのインスタグラムをご覧ください。 ・コソダテノミカタ公式webサイト ・コソダテノミカタ公式インスタグラム お問い合わせ 気仙沼市移住・定住支援センター MINATO 〒988-0018 宮城県気仙沼市南町海岸1-11 気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ2F TEL&FAX 0226-25-9119 Mail info@minato-kesennuma.com 営業日:火〜土 10:00〜18:00 定休日:日・月・祝日
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vol.36【気仙沼移住女子】ぺこちゃんの場合
〜ぺこちゃんの場合〜 「移住女子×編集者から着物屋さんへ」 今から数年前、東京の出版社で書籍の編集をしていました。 その中で、高橋和江というバイタリティあふれる凄い人が気仙沼市にいるというのを聞きつけて、彼女の本を出したいと思ったんです。そして高橋さんの最初の書籍を私が企画と編集をして、その後もやり取りが続いていました。 それから伊豆の両親を見送って編集の仕事も離れていた時に、有限会社たかはしの仕事に興味ないかと、タイミング良く声をかけてもらったんです。実家の家と土地を売って、2021年の12月21日に気仙沼にやってまいりました。 移住するまでの間も何回か気仙沼に遊びに来る中で、その時はまだ観光客であったのに「あなたお客さんで私達地元民です」っていう見えない線が全くなくて。皆さんの懐の深さが凄く素敵な場所だなと思うし、実際に移住してみてもその印象は変わらないです。 *ぺこちゃん *出身地 : 静岡県伊豆市 *仕事 : 有限会社たかはし/たかはしきもの工房 気仙沼は、何か、出会うべくして出会った場所かなと思っています。本当に図々しくてごめんなさいなんですけど、いるのが当たり前のように、今いるんですよね。 特に気仙沼は良い意味でほっとかないっていうか。私、親戚もいないし誰も血縁者がいない土地なのに、1人ぼっちだって思ったこと1秒もないんですよね。この気仙沼の分厚い毛布のような人情って言うんですか、全然寒くない感じっていうのがあるんだろうなと思うし、なんかそういう居心地の良さの中にいさせてもらっています。 会社の朝礼では、毎朝それぞれ持ち回りでスピーチをするんですけれども、入社してすぐぐらいのときに「コロナ禍で歓迎会とかできないしプレゼントの用意もないけれども、歓迎をしたいっていう気持ちの代わりに方言を教えます」って、気仙沼弁をいっぱい教えていただいて(笑) 物をあげるとかじゃなくて、自分たちが普段使っている言葉を一緒に使おうねっていう。その気持ちがもう嬉しくって泣いてしまったんです。その瞬間、私はみんなの懐に入れてもらったって感じることができました。 私は「気仙沼つばき会」という、気仙沼のおもてなしを考えようと発足した女性限定の会に入って活動しています。あと、個人的には盆踊りの復活をお手伝いしたいです。こないだ地域の方に聞いたら、もう何年も盆踊りをやってないって。実は私、東京にいるとき自称「ボン(盆)バー」だったんですよ(笑)毎週末あちこちで盆踊りをするぐらい好きで。なんだったら会社の広い場所でやぐらを組んで踊ってもいいし、そういうことができたらいいなと思っています。 ●Instagramはこちら (掲載日/2023.7.20)
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vol.17【気仙沼移住女子】あいこの場合
〜あいこの場合〜 「移住女子 × フィットネス起業」 “高校生からダンスを始めたんですが、その頃は気仙沼にストリートダンスの教室や先生がいなかったんです。そのときから、自分がここにダンススタジオをつくる!と決めていて、東京のダンス専門学校に進んで、ダンスを全ジャンル学びました。 そして、その専門学校の卒業式当日が震災の日で。すぐに気仙沼に帰ろうと思ったけど、帰っても何ができる?という葛藤の中、東京のフィットネスサロンで経験を積んで、健康づくりの知識やダンスを教えるノウハウ得ました。そして2013年4月、22歳で地元に帰ってきて、レッスンを開始、2016年から自分のスタジオをオープンしてやっています。” *あいこ(30) *出身地:気仙沼・三日町 *仕事:フィットネス&ダンススタジオ「Air」経営・インストラクター “経営のことも勉強して大きい目標も立ててみたんですけど、それは自分サイズじゃなくてちょっと無理があったんです。それで、実践あるのみ、に立ち返って、いまはこの場を継続することを目標にやってます。結果はあとからついてくるかなぁと。自分のすきなことで地域貢献できてるってスタンスで、自己投資しながら維持しています。 わたしにとっては仕事がいちばんたのしい時間で、それを生きがいに生きています。ただ出産とか子育てとか今まで気にしてなかったことが、一気にこの歳になってプレッシャーで身にしみているのも事実。そういう女性が社会的に担っていかなきゃいけないことも今の仕事を続けてこなせるかといったらわからない。どう乗り越えなきゃいけないかはこれから考えていきたいと思っています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.17)
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vol.27【気仙沼移住女子】こまちの場合
〜こまちの場合〜 「移住女子 × 地下アイドル」 “大学時代に隣町の南三陸町に通ってて。それまで学校というコミュニティから出たことなかったので、いろんな世代の人と会って話す機会がたくさんあって、こういう考え方あるんだな、こういう生き方あるんだな、ってそれがたのしくて。 知り合いに連れられて、2014年の秋、気仙沼に初めて来たんです。ちょうどその頃、ほかのみんなは立派なところに就職するのに公務員試験に落ちた自分はなにやってるんだ、って心が病んでたときで。その初めて来た日にちょうど春からの市役所の仕事を紹介してもらって。「一応公務員だよ」って言われて、「公務員ならいっか」って、藁にもすがるみたいな。笑 いま思えば、あの勢いはなんだったんだろう?笑 来たことを後悔したこともあったけど、仮に一般企業とか、ほかのまちで公務員になってたことを思うと、いま生きてたのかわかんない。気仙沼にきて、いろんな人に会って、いろんな生き方を見て、自分とも向き合えた気がしたし、この道を通ってよかったなって。” *こまち(28) *出身地:富山 *仕事:気仙沼図書館 “女子4人で唐桑のシェアハウスに住んでいます。すきなときにリビングに集まって、すきなときに自分の部屋に戻る。本当に落ち着いた家族みたいになってきたかな。人が自分のことどう思ってるのかすごく気にするタイプだけど、このシェアハウスはみんな素直だし、いいことも悪いこともちゃんと言ってくれる。 たまに市内でライブをしたりもしています。呼んでもらえるってありがたいよね。他にもめちゃくちゃうまい人っているじゃん、気仙沼に。それでもその場に自分が必要とされてるなって思えることってうれしいですよね。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.10)
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vol.30【気仙沼移住女子】いつこの場合
〜いつこの場合〜 ”学生時代、2011年にボランティアで来て、そのあと1年間滞在していたことがあって、それから生活の拠点が変わっても気仙沼・唐桑のことはいつも心にあって。東京での生活や仕事は楽しくて充実していたけれど、コロナ禍で行動や会える人が制限されて自分自身と向き合う時間が増えていく中で、改めて自分がどんな人間になりたいかなって考えたら、思い浮かぶのがびっくりするぐらい唐桑で出会った人ばっかりだったんだよね。とはいえ、仕事も住む場所も一気に変える勇気はなくて。いまの仕事も好きだから続けたかったし。去年9月にお試し移住のモニターで1週間来たときに思った以上に環境が整っていて、これならリモートワークができるなってわかったので、まず思い切って3ヶ月行ってみよう!って。" *いつこ(32) *出身:埼玉 *仕事:リモートワーク(医療機器メーカー) "いまは、唐桑のシェアハウスに滞在して、昼間はコワーキングスペースで仕事をしています。港を眺めながら仕事をして、仕事終わりにはウォーキングして、海みて、夕日みて、星空みて、雄大な自然と季節を感じられる。山の幸も海の幸も相変わらず最高に美味しくて。本当にぜいたくだなぁって。東京での生活とガラッと変わりすぎて、ちょっとまだ気持ちが追い付いていないかも。笑 東京の気楽さが恋しくなるときもあるけど、「おかえりなさい」って温かく迎えてくれる人たちがいることがとてもありがたいし、うれしい。家でシェアメイトと話したり、こんな人になりたいって思う人たちと過ごす時間から学ぶこともたくさん。自分のことより相手のことを想っての言動がすごく多いなぁと。こういう人たちのそばにいて、自分が成長できるなって感じるし、思い切って来てみてよかったな。やっぱり自分を変えたいなら環境を変えることがいいなって実感しました。これからもここにいれたらなって思うし、この先どんな出会いや変化が待っているのかわくわくしています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.4.1)
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vol.29【気仙沼移住女子】ともちゃんの場合
〜ともちゃんの場合〜 “気仙沼にくる前は京都で織物の仕事を10年ぐらいやってたんですが、結婚をきっかけに気仙沼に移住して、いまはまったく違う観光のお仕事をしています。結婚した相手も震災の復興きっかけの移住者だったので、頼る人は夫以外いない、という環境で2015年に移住して、「呼ばれてないのにきちゃった」ってやつ。笑 田舎で住む、という経験は20代前半でやったことがあったし、都会でできることは十分したな、と思ってたから、引っ越す踏ん切りはつきました。見ず知らずの土地に引っ越して知り合い増やしながらなんとかなるかな、って。移住する前に気仙沼にきたのは2回だけでした。そのときに、近所の方が「若い人いっぱい移住してきて、うちにもよくきてるから、なにかあったらうちにきてくれればいいよ」って。こんな人たちがご近所にいるなんて心強いな、って、背中を押してもらいました。” *ともちゃん(37) *出身:千葉 *仕事:気仙沼地域戦略(観光マーケティング) “知り合いもいない中で気仙沼にきて、知り合いが増えてくる。ひとりつながりができて、まちのことをひとつすきになる。人を好きになって、まちを好きになる、の繰り返しで、このまちになんでもいいから私にできることがあれば力になりたいな、と思って、やれることをやるってかんじ。 ゼロの状態で入ったから、まちをすきになる前に、人をすきになったんだよね。ある意味、モチベーションは恩返しかな。 いまは、自分のスキルとかやりたいことは縮小していて、子どもと過ごす時間を確保する方に意識が向いています。お母さんになりたくて気仙沼に来たので、子どもが生まれてやりたかったことがひとつ始まった感じ。地域にも頼りつつ、保育園とか助けてもらえる場所があるから移住者夫婦の核家族でもやれてるな、と。はじめましての場所でも、住んじゃえばなんとかなるって、こんどはわたしが背中を押したいです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.31)
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vol.28【気仙沼移住女子】いとえの場合
〜いとえの場合〜 「移住女子 × 蔵人」 “高校生のとき「もやしもん」にハマって、大学は農大の醸造学部でお酒の研究をしてました。大学院に進学するか就職するか悩んでたとき、なんとなく就職しようと思って。バイト先で宮城のお酒をそこにあるものすべてテイスティングして、好みだった酒蔵に、その日の帰りに直接電話をかけたんです。「採用してくれませんか」って。で、2015年の夏に履歴書をもって面接しにきたのが今の酒蔵。それが初めての気仙沼でした。そこで、では新年度からお願いしますってなって、蔵人として働き始めて、もうすぐ6年になります。 親が転勤族で、新しい環境で新たな関係を築くってことに慣れてたから、不安はなかったかな。なんとかなるさって。逆に、みんな優しかったのはびっくりしました。田舎なのに受け入れ気質がすごいなぁって。よそ者なのに受け入れてくれるんです。杜氏さんも優しくて。” *いとえ(29) *出身地:神奈川 *仕事:蔵人 “杜氏さんになりたいわけじゃなくて、私はたのしいと思ったことをただしてるだけなんです。その先に杜氏お願いしますって言われたらもちろんがんばるけど、最終的にこうなりたいとかはなくて、醸造関係の中にはいたいなというのは思ってます。性格上、自分がたのしいと思ってないことは見事に続かなくて。仕事がたのしいことじゃないと続かない。あとは運任せかもなって。タイミングがくるまでは好きだと思えることをやろうと思ってて、仕事変えなきゃ、やめなきゃってタイミングがきたら、そのときにできることやろうかなってかんじかな。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.13)
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vol.26【気仙沼移住女子】あゆちゃんの場合
〜あゆちゃんの場合〜 「移住女子 × 顔の見えるデザイン」 “大学4年生の夏、付き合っていた彼が気仙沼出身で、初めて気仙沼に遊びに来たのが「みなとまつり」の日で。おみこしかついだり、彼の家族に会ったりして、風通しがよくて、活気があるところだなぁってその日のうちに気仙沼のことが好きになったんです。内湾で漁船がたくさんいてキラキラしててきれいだなぁって見ながら彼と話してたんです。そしたら彼が「いま気仙沼はなにもないけどこれからまちが復興して、まちも商売もおもしろくなる。そういうときに気仙沼にはデザインの仕事が絶対必要だから、このまちでデザインの仕事をしてほしい。気仙沼を一緒に盛り上げていこう」って言ってくれたんです。 私は大学を卒業したらフリーランスでやっていきたかったし、相手の顔が見えない仕事ではなく、自分の仕事を喜んでくれる人の顔が見える環境が良かったんです。だから彼と話したその時に、気仙沼でデザインの仕事をして東北を盛り上げていきたいなって思ったんですよ。” *あゆちゃん(28) *出身地:山形 *仕事:グラフィックデザイナー “彼と結婚して、子どもが生まれて。子育てしながら十分な収入を得るってなかなか難しいんですよね。こっちきて3年目とかかなぁ、少しずつお仕事もらえるようになって。最初は自分の同級生がバリバリ働いてる姿が羨ましくて、フルでデザインの仕事をバリバリやりたいって焦りもあったけど、娘がある程度大きくなるまで自分の手できちんと育てたかったし、地方でフリーランスやるにはコツコツ地道にやるしかないなって。今は自分の納得のいく仕事を手の届く範囲でやっていこうと思ってます。デザインの仕事って信頼で成り立ってるし、実績も自分の力も地道に積み重ねるしかない。明日新しい仕事がくるわけでもないし、デザインの実力も急に上手くなったりもしないので、10年後にこうなってたい、とか自分の中で長い目標を立てて、ちょっとずつ小さい階段を上っているかんじです。 いまの気仙沼みたいに、まちがすごいスピードでできていってる段階ってそうそうないので、いちばん気仙沼が楽しくなっていく時期がいまから始まると思っていて、その時代に自分が生きてるって思うと、私はこれからもこのまちで仕事がしたいなぁって、ここでがんばろって思えるんです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.5)
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vol.25【気仙沼移住女子】しおりの場合
〜しおりの場合〜 「移住女子 × 近場二拠点ライフ」 “大学生のとき、最初は「なにかしなくちゃ!」って思ってきたけど「きてくれるだけで復興につながるんだよ」って言ってくれる地元の人たちに出会って、「あ、自分はここにいるだけでもいいんだな」って感覚になったし、人が歓迎してくれた。いろんな人と心でつながれた時間がたくさんあって、わたしってありのままでいいんだなって経験になって。それが大きいできごととして心に残ってたんですよね。でも卒業後は教員になるって決めてたからとりあえずなろうって。移住するって思考にはいかなかったんです。” *しおり(27) *出身地;神奈川 *仕事:教育コーディネーター(岩手県住田町) “神奈川の高校で教員になってみて、自分も社会のこと知らないのに、生徒に社会を教えることの難しさを感じました。このままだと10年後かっこいい教員になれてないな、もっと私自身が社会を知った方がいいなって思って。それで大学時代に通ってた気仙沼への移住を決めました。まず1年やってみてダメだったら帰ればいいし、楽しかったらいればいいなって思って。 いずれは高校の現場に戻りたいなって思いながら、まずは地域を知りたくて唐桑公民館で働いていました。そこでもやっぱり地域と学校がつながることの可能性を感じたから、その後、地元に帰って教員やるのはあんまりイメージわかなくて。そんな時に、岩手県住田町での教育コーディネーターの仕事を紹介してもらいました。 住む地域と働く地域は一緒の方が良いなぁって思うこともありました。でも今までは気仙沼と神奈川(地方と都市)の比較しかできなかったけど、今は気仙沼と住田(地方と地方)の比較ができるようになって、地域を見る視点が増えた感じがします。改めて気仙沼のいいところが見えたり、どっちも全然違って良いなって思ってます。 拠点は今後どうなっていくかわかんないけど、住田でやってることが気仙沼で活きたり、逆もあったりするから自分のやっていることはつながってるなって思えてます。今目の前の仕事に取り組んでいれば、そういうつながりが広がっていくんじゃないかなって。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.3)
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vol.24【気仙沼移住女子】さゆみの場合
〜さゆみの場合〜 「移住女子 × イラストレーター」 “出身は県内の松島町というところ。東京で雑誌の編集やゲームの製作などをしていました。気仙沼には大学の先輩がいて、震災が起きた後に連絡して、来てみたんです。ほかに誰も知り合いいなかったけど、そしたら気仙沼で「ほぼ日」の事務所ができることになって、気仙沼で知り合った方に「働いてみない?」って声をかけていただきました。迷いました。すごく迷いました。でも変わらない人生より変わる人生のほうがいいんじゃないか!と思って。ま、あんまり考えてないんだよね。笑 そのとき28だったんですけど、そのまま引っ越しして、転職して、その大学の先輩と結婚して。それが2012年。けど実際きたら友達いないし、すごい寒いし、すぐ暗くなるし、仕事18時に終わって。今までだったら23時まで仕事してたのに、すごいギャップがあって、夫に相談したら「俺も友達だよ」「ボールは友達だ」って言われて、サッカーボールを買わされて、暗い中、街灯の下で毎日リフティングしてました。笑 当時は全然若い人に出会えなかったし、東京戻って友達と会いたいって思ってたな〜。それから2〜3年して、同じ年代の年の人がUターンやIターンで増えてきて、同年代の友達が増えたことによって気仙沼がすごく楽しくなりました。” *さゆみ(36) *出身地:松島町 *仕事:ライター&イラストレーター “いまは観光の仕事をしています。取材いったり、原稿書いたり、web編集したり。 前の仕事で「沼のハナヨメ」っていう、気仙沼での自分の生活を元にしたエッセイ漫画を書かせてもらってたけど、それを地元の人が結構見てくれて、それで漫画の仕事も頼まれることもあります。わたし、漫画もゲームも好きだし、もともとオタクだから、自分のそういう部分を持っていたい。仕事もすきなので、生活のために仕事してるというよりも、たのしくてやってる、っていう仕事ができたらいいなって、それを大事にしてます。観光関連の仕事が終わったら、家に帰って息子と遊んで、ごはん食べて、息子を寝かせてから、イラストや漫画の仕事やるってかんじ。気持ち的にはイラストや漫画を描く仕事もこれから増やしていきたいと思っています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.2.25)
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vol.23【気仙沼移住女子】みっぽの場合
〜みっぽの場合〜 「移住女子 × いつでもどこでもわたしらしく」 “気仙沼にきたきっかけは、学生時代にハンセン病のボランティアをしていて、唐桑にハンセン病快復者がいることを知ったこと。その方が建てた施設の支援をつてに唐桑にきたのが、2011年3月の発災直後、大学生のときでした。 その後、大学を卒業するまではずっと通っていて、2015年に卒業と同時に移住。同じタイミングで移住した女子たちと唐桑でシェアハウスしながら、林業家を支援するNPOで働いています。” *みっぽ(29) *出身地:兵庫 *仕事:NPO職員 “去年の11月に地元の人と結婚しました。よく地元の人たちに「これで一生ここにいてくれるんだね」って言われるけど、それは笑って流してる。笑 だって、1年後すら自分がここにいるかどうかわからないし、ここにずっといるんだっていう覚悟をもって生活してしまうと。その言葉に責任をとることに重きを置いてしまって、自分がたのしいか、なにをしたいか、とか、自分に正直でいられなくなっちゃいそうだから。 自分の行動には責任をもちたいから、無責任なことをしたくない。だから「ずっといます」とは言えなくて。結婚してもそれは変わりなく、夫にも夫の家族にもその価値観は理解してもらっています。それが今のわたしの持続可能な生きかたです。“ ●Instagramはこちら (掲載日/2020.2.23)
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vol.22【気仙沼移住女子】ゆうこの場合
〜ゆうこの場合〜 「移住女子 × 新発見Uターン」 “高校卒業して、専門行って、そのまま神奈川で働いてたんだけど、そんなときに両親の病気疑惑が発覚して。兄弟の中でも自分は所帯もってないし、帰ってくるのは自分かと思って、動けるうちに動こうと。2015年に帰ってきて、当時オープンしたてでスタッフ募集していた今のお店を見つけました。18歳で地元出て行くときは、このまちなんもないな、じゃないけど、どこいくにも不便だし、車運転するのも怖いし、飲みに行くのも大変だし、って思ってたけど、帰ってきてからはまちが全部ちがうし、おしゃれなとこできてるし、地元に移住者もいっぱいいるし、大人になって今まで行けない場所に行けるようになった、って感覚。 今までは同級生と親、しかいなかったけど、同年代のちがう仕事してる人や移住してきた人たちがいるから、ここどこ?ぐらいの勢いだけど、唐桑にこんな若い子たちいるの!?みたいな。自分の同級生とか先輩後輩ぜんぜんいないのに、よくきたな、よりによってはじっこのほう?!ってイメージ。ここに魅力があって移住!?最初はよくわからんかった。笑 お酒飲めるようになって、魚もおいしいと感じるようになった。魚って貴重だったんだなってのがすごくよくわかったよ。関東にいるときはさ、高級レストランにいけば食べるけど、そのへんの居酒屋とかではおいしくなくて食べれなかったんだもん。あとね、春夏秋冬がすごくわかる、こっちは。出た、わかめ!春、くる!みたいな。笑” *ゆうこ(30) *出身地:気仙沼・唐桑 *仕事:カフェ店長 “人生の目標とかプランとか考えたほうがいいよって言われるけど、フラフラここにいて、なんやかんやいつの間にか店長になって、あれよあれよの昇進だからあんまり考えてないんだよね〜(仕事は真面目に責任もってやってます)。笑 接客がすき、人と話すのがすき、交流するのがすき、だけで働いてるから、ずっと続けられてるといいな、っていうのと、あわよくば結婚したいな、ってふわっと生きてる。ふわふわしている。 親の体調もよくなってきたし、実家にわたしいなくてもいいかも?最近では家からさっさと出てけーって言われるし。笑 唐桑にいるのか、市内(気仙沼市街地)にいくのか、全然しらないところにいくのか、それはもうご縁に任せます、ってかんじ。笑” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.2.22)