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コラム#4-8 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 3人目に会いに行ったのは、気仙沼自慢の豊かな食を全国の食卓に届けている斉吉商店 @saikich_syouten のかずえさん。明るくて、活発で、話すと元気をもらえる人だ。 2011年の3月11日。食品加工の工場、店舗、本社が津波の被害にあった。事前に有事の対応について共有できていたため、従業員が全員無事避難できたのが、不幸中の何よりの幸いだった。 2日後の朝、かずえさんは本社や工場がどうなったかが気がかりだった。「危険だから駄目だ」と言われながらも、いてもたってもいられず、がれきの中を何時間もかけて歩いて見に行った。建物のあった場所は変わり果てていた。火事で真っ黒に焦げた船とまちを見て体が冷たくなる思いがしたという。その時、思いもよらぬ光景がかずえさんの目に飛び込んできた。 「そこにね、真っ白い船が入ってきたの。無傷の船。もう、唖然とした!綺麗で。空も青くて。そうか、沖に出ていた船は無事だったんだ!って。無傷の、たった一つのものみたいに見えたんですよね」 全部ダメだと思った時に見たその光景は、明るい気持ちを思い出させた。 「起こってしまったことって、どうしようもないじゃないですか。だから、少しでも明るい声を出したり、笑ったりできるものを探していたように思います。だって不安でたまらないわけだから。みんな『少しでも明るい話をしよう』って意識があったと思います」 無理をしてでも、少しでも明るくいること。それは自分の気持ちを保つために必要なことだったのかもしれない、と話を聞いていて思う。 (1/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-6 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 高校卒業後の進路は、大学でまちづくりを学ぶことに決めた。 ずっと東京に出たい気持ちもあったし、気仙沼で出会った大人で一番影響を受けた、まるオフィスのたくまさんが学んだ大学だったからだ。 たくまさんのどういうところに影響を受けているのか聞くと、「常に新しいところですね。変化しようとしているところ。一緒にいて面白いなって思います」とゆきちゃんは言う。 大学生になってからもたくまさんとのつながりは絶えず、探究学習の学生コーディネーターとして気仙沼に関わり続けた。 「気仙沼には大学がないから、ちょっと歳の離れたお兄さんお姉さんって、憧れがあったんです。自分が子どもの頃も、大学生が企画したワークキャンプとかに参加して会う機会があって、それで自分もやりたいって思ったんです。あの時はしてもらったから、自分がサポートする側に回ろうって」 元々地元を早く出たいと思って東京へ行った彼女は、今の気仙沼をどう思っているのだろう。 「大学にきて思うのは、帰ってこれる場所があるって良いなって。『ただいま、おかえり』って言ってくれる場所。周りから、ふるさとがあることを「良いな」って言われることが多いんですよ。あとは、面白い人が多いですね。自分の好きなこととかやりたいことを持っていて、自分の人生を生きている人」 東京と気仙沼。大学生活を過ごしながら気仙沼とも関わり続けて活動するのは、簡単ではないだろうなと想像する。それでもずっと気仙沼に関わり続けるのは、なぜだろう。 「声をかけてくれる人たちがいて、その人たちが面白いからです。やる時はちゃんとやるし、ふざける時は全力でふざけるし。そういう大人って良いなって思うし、一緒にいたい、関わっていたいって思います」 かつては、ここには何もないと思っていたゆきちゃん。だけど今、「面白い」と思う人たちは気仙沼にいて、いつも刺激をもらっているのだ。 (2/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-5 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 次に会いに行ったのは、気仙沼出身でこの春大学を卒業したゆきちゃん。 学業に励みながら、気仙沼に定期的に通って地元の高校生たちの探究学習をサポートするなど、高校を卒業してからも積極的に気仙沼と関わり続けている人だ。 「もともとは地元が嫌いだったんですよ。テレビ見てると東京のイルミネーションとか原宿の竹下通りとかが映って、それに憧れてました。ふと見たら、ここには何もないなって思って」 東日本大震災の時は小学3年生。当時、復興ボランティアとしてたくさんの人が気仙沼に関わり、「このまま気仙沼の復興を手伝いたい」と移住する人もいた。夕妃ちゃんは、移住者たちが企画するまち歩きのイベントに参加するようになった。 「移住者の人たちは、歩きながら分からないことが出てきたら、地元の人たちに『これはなんですか?』と聞いて面白がっていたんです。自分は都会に憧れていたし地元を早く出たいと思っていたから、『変なの』って思ってました。それから、『漁師さんってかっこいいよね〜!』と話す方もいて、衝撃的でした。父と祖父が漁師だったので、当たり前すぎて感覚が分からなくて。自分の方が長く住んでいるのに、移住してきた人たちの方がこのまちの良さを知っているのは、悔しさもありました」 いつのまにか、嫌いだった地元を「そういう見方もあるのか」と捉え方が変わっていった。それまでは学校と家を行き来するだけだったのに、週末は大人たちと会うようになり、それがとても楽しかった。 「『こういうイベントあるよ。来ない?』って声をかけてくれるんです。『この大人が言うなら絶対楽しいだろう!」って思って参加してました。楽しいことをやってくれる、ワクワクさせてくれる大人だなと思っていました」 高校生になると、これまた楽しそうな大人たちに誘われて探究型のプロジェクトに参加。探究することの面白さを知り、世界をどんどん広げて行った。 (1/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-2 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 浅草の仲見世通りにある、梅干しと定食の店「梅と星」@ume_to_hoshi へ。 鶴亀食堂がここでイベント的に気仙沼産のカツオやわかめ、メカジキを出したり、斉吉商店が海鮮丼を出したりしたこともあり、東京と気仙沼をつなぐ場所にもなっている。 この場所を運営するのは、株式会社バンブーカットの竹内順平さん。 「気仙沼漁師カレンダー」を気仙沼つばき会と一緒に制作してきた、気仙沼と切っても切れないご縁の方だ。 竹内さんが始めて気仙沼を訪れたのは、2012年にほぼ日が開催した「気仙沼さんま寄席」の時。当時は大学を卒業したてで、ほぼ日のアルバイト未満のような状態。お手伝いのような、付き添いのような、そんな形でスタートした。それから「気仙沼のほぼ日」ができて、通う理由ができた。 「何かと手を挙げて、力になれるなら、なんでもやります!って感じでした」 2年ほど働いたほぼ日を卒業してまもない頃、ご縁あって漁師カレンダーの制作に携わることになった。 「ほぼ日にいられたおかげで、微力ながらも力になれる環境にいられたんですけど、卒業したらなんの力にもなれなくて、関わり続ける仕事をつくることもできなくて。そんな中でいただいたお話しだったので、ご縁が切れなかったという喜びは、すごく大きかったですよ」 これまでとは違って、自分でプロジェクトを回していかなきゃいけない中で、どうしたら力になれるのかたくさん考えたという。そして今年、最終章となった10作目が完成した。 「本当に力になれたのか、今も答えはわからないです。でも、なってると思ってもらえたら良いなと思います」 答えはわからない。そう話す竹内さん。どんな思いで気仙沼に関わり続けてきたのだろう。 (1/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-1 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 2024年の1月1日、能登半島地震が起こった。 テレビからは、力強い声で情報を伝えるキャスターの声。 L字バーに津波の到達情報が映し出されている。 みんな逃げてほしい、助かってほしいと祈るしかなかった。 テレビ越しに感じる緊迫した状況の中で、ふとよぎったのは 「あの日、気仙沼もこんな風に見られていたのかな」ということ。 13年前のことを、自然と思い出していた。 この13年、いろんなことがあった。 まちは時間をかけて変化してきた。 そして本当にたくさんの人が、気仙沼に関わってくれた。 気仙沼でがんばる人も、 離れたけどずっと思いを寄せる人も、 あの日を機に気仙沼に関わり続ける人も。 一人ひとりに、13年間の軌跡と、思いがある。 東日本大震災を経験した気仙沼だから 伝えられることがあるんじゃないか。 大げさかもしれないけれど、きっとあるはず。 そう思って、3人の方に会いに行くことにした。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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【NEWS】気仙沼市子育て・教育コンセプトブックを作成しました!
気仙沼での子育て・教育の魅力を市外の方に伝える冊子『気仙沼市子育て・教育コンセプトブック 君の18年を一緒に歩こう』ができました! 気仙沼の海のような青い色と子どもたちの楽しそうな姿が印象的な表紙。 全31Pにわたって気仙沼の特徴的な子育ての魅力や支援制度をまとめて掲載しています。 「子どもにはのびのびと育ってほしい」 「親も子も余白を持てる子育て環境がいい」 と思っている方に、気仙沼での子育てスタイルを知っていただきたいです。ぜひご覧ください。 今年から親子おためし移住というプログラムをはじめて、気仙沼での子育ての豊かさを改めて実感しています。 地域の人たちがあたたかく子どもたちの成長を見守ったり関わったりしている瞬間を目の当たりにするたびに この空気感や具体的な取り組みをぜひ市外の人にも知ってほしいと強く思います。 そしてぜひ一度、気仙沼に来て滞在してみてほしい。 そんな願いを込めて制作しました。 子どもたちがいきいきと過ごす普段の様子を伝えるべく、冊子内の写真はほとんど撮り下ろしています。 これが、どれもとっても素敵なんです! 子どもたちや保護者の方、学校や地域の皆さんが快くご協力いただいたおかげでこの冊子ができました。 配置場所 ・ MINATO窓口(気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ2F) ・ふるさと回帰支援センター宮城県窓口(東京・有楽町) 目次 03 ある親子の日記 16 気仙沼で過ごす18年 活き活き育つ子育て・教育支援 20 「きっともっと楽しくなる」を追求する気仙沼の取り組み <けせんぬまコレクティブインパクトプラットフォーム コソダテノミカタ> <気仙沼学びの産官学コンソーシアム> 24 保育所体験付き!気仙沼親子おためし移住 26 子育て世帯への支援制度一覧<気仙沼の子育て/子育てサポート/妊娠・出産サポート> 28 移住に関する支援制度一覧<移住サポート/仕事サポート/住まい探し/相談窓口> 30 気仙沼はこんなところ この冊子をつくった背景 気仙沼市では近年、子どもたちが思いっきり探究して学べる環境をまち全体でつくっていく「学びの産官学コンソーシアム」の立ち上げや、ふるさと納税を活用した教育パッケージに10年間で18億円規模の投資をするなど、子育て・教育への支援を充実させています。 また、みんなで子育てを良くしていこうとつくられたコレクティブインパクトプラットフォーム「コソダテノミカタ」をはじめ、民間プレイヤーの働きかけもあり、気仙沼市は「子育てしやすいまち」のイメージが定着しつつあります。 そういった気仙沼の魅力をより対外的に広めていくにあたり、これまでなかった子育て教育に特化した冊子を作ることにしました。親子おためし移住の制度を活用してぜひ気仙沼での暮らしを一度体験していただけたらうれしいです。 ----------------------- 発行:宮城県気仙沼市 企画・制作:気仙沼市移住・定住支援センター MINATO 編集・ライティング:谷津千里(Bottoms) 写真:菅原結衣 写真提供:NPO法人浜わらす、志鎌康平(六)、志田ももこ デザイン・イラスト:白田亜悠 制作協力:けせんぬまコレクティブインタクトプラットホームコソダテノミカタ 印刷:今野印刷株式会社 -----------------------
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コラム#3-5 地球にも人にも優しい暮らしって?
地球にも人にも優しい暮らしって? 「気仙沼勝手に環境庁」( @kankyo_ksnm) やりたいから、「勝手に」環境に優しいことを学び、実践する仲間が集まっているコミュニティ。最初はあすかさんが旗を立て、活動していくうちに仲間が増えていき、今は20人以上のメンバーがいる。 私は、詳しいわけでも実践しているわけでもなかったけれど、環境に優しくなりたくてメンバーになった。まずは知ることから、参加することから始めようと思い、これまで開催されたイベントに参加してみた。 廃棄されるはずだった食材を集めて作った料理を振る舞う「もったいないキッチン」、古着屋、キエーロ作りワークショップなどを盛り込んだイベント「勝手に環境通り」。ギフト経済のトライイベントとしてお金ではなくみんなが持ち寄った食材をシェフが美味しく料理してみんなでいただく「もちよりキッチン」。エコバッグやタッパーを持ち込んで必要な分だけ欲しいものを買える「量り売りマルシェ」。コンポストの勉強会などなど。 参加するうちに、自然と「環境に優しいことってなんだろう?」と考える時間が増えたし、知らない間に自分の価値観がどんどんアップデートされていることに気づく。 私はまだ誰かの「勝手に」にのっかって楽しくやっているけれど 自分の「これやりたい」にみんなを巻き込めるようになりたい。 一人でできることには限界があると、仲間が増えて気づく。 みんなと一緒にやるから、楽しい。 写真提供 矢野明日香 ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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2/2(日)東京開催!【みやぎ移住交流フェアLite】
宮城県内14市町村が参加!仕事と暮らしに関する座談会と個別相談会 今の暮らしは、あなたらしくいられていますか? どんな価値観を大事にして、どんな人たちと、何をするのか、それは自分で決めていいことだと思います。 宮城には、自分らしいライフスタイルを実現するための選択肢が豊富にあります。 個性豊かな人がたくさんいて、面白い取組もたくさん行われています。 豊かな自然に恵まれ、都会も有しています。 これを機会に、ぜひ宮城のおもしろさに巻き込まれてみてください。当日参加も可能ですが、 事前予約の先着50組様にはふかひれ濃縮スープをプレゼント!。 気仙沼からMINATOスタッフも参加します!お申し込みお待ちしております! 開催日時:2月2日(日)11:30〜16:00 参加費 :無料 参加申し込みはこちらから! https://miyagi-ijuguide.pref.miyagi.jp/pref-events/38116
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【地域おこし協力隊】魅力溢れる気仙沼から、未利用水産資源プロジェクトの事務局員を募集!
東日本大震災から13年。 ここ気仙沼市では震災後、多くの新プロジェクトが生まれました。 その一つ、「気仙沼水産資源活用研究会」は、未利用の水産資源を活用し、健康食品、化成品,美容品などの高付加価値商品を開発することで、新たな産業・雇用を創造し、港町気仙沼を元気にすることを目的に設立されました。 設立から11年、気仙沼市のバックアップの下、現在は21社の企業と大学・研究機関が協力を続け、10商品以上の商品を開発し販売しています。今回は、そんな商品達のPR活動をサポートする地域おこし協力隊を1名募集しています。 これまで市場になかった商品を生みだしています 「気仙沼水産資源活用研究会」からは、イサダ(ツノナシオキアミ)から栄養分を抽出したサプリメント「気仙沼クリルオイル」や、フカヒレのコラーゲンを使ったクレンジングオイル「マリナス メークオフ」などを含め10商品以上を開発・販売してきました。 港町生まれの天然サプリ「気仙沼クリルオイルEPA&DHA+」 マリナス化粧品シリーズラインナップ 興味が沸いた方、もっと詳しく知りたいと思った方は、お気軽にお問い合わせください。 気仙沼市が平成28年度から受入れを開始した「地域おこし協力隊」事業の隊員として、気仙沼水産資源活用研究会の事務局に勤務していただきます。移住をお考えの方、地域おこし協力隊として私たちと一緒に港町気仙沼を盛り上げていきませんか? *こちらの地域おこし協力隊募集の詳細内容についてはこちら
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【11/17(日)開催】開催みやぎ移住・交流フェア2024
東京に、宮城県内全35市町村が大集合! 楽しめるコンテンツが盛りだくさんのUIJターン向け相談会を開催します! 宮城県内全35市町村、就職(企業、教職員)、地域おこし協力隊、起業、農林業、住まいなどのブースがずらり。 現地の担当者と気軽にお話いただけます! 地域が決まっていない方も、総合案内ブースで相談できます。 どんな暮らしや働き方ができるのか、支援やサポートはあるのか、自分にはどの地域が合うのか、 ぜひたくさんのブースにお立ち寄りください。 移住先としての具体的なご相談はもちろん、農林業や起業・就職、不動産などのご相談、移住や宮城に興味はあるけど、まだ漠然としている方への情報提供なども可能です。 相談会だけでなく、セミナー・ワークショップもありますので、みなさまぜひお気軽にご参加ください! イベント概要 開催日時 令和6年11月17日(日) 11:00〜16:00 開催場所 東京交通会館12F カトレアサロン 東京都千代田区有楽町2-10-1 参加費 無料 申込締切 11月17日 事前申込 https://app.spot-recorder.jp/229761_miyagi_iju241117/ *イベントの詳細については公式HPをご覧ください
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【記事】「いつか気仙沼に帰りたい」3年悩んでUターンを決めたゆうすけさんの生き方
photo by Yusuke Takahashi 気仙沼に帰ってきて、暮らすこと。 進学と就職のために一度は気仙沼を離れたけど、13年の月日を経て、地元気仙沼に帰ってきて暮らすことを選んだゆうすけさん。気仙沼でのゆうすけさんの暮らしは、なんだかとても楽しそう。 「自分の好きなことをやる」ということを大切にしていて、お休みの日はキャンプや釣り、登山に行き、畑で野菜を育てたり、漁師の親戚のお手伝いをしたり、友だちを誘って星空を見たり……。気仙沼の自然をフルに満喫している。 高校卒業後に大学進学を機に地元を離れ関東で13年間を過ごしたゆうすけさんは「もともと、都会に住み続けたいとは思っていなかった」と話す。 本当は、大学卒業後には気仙沼に帰って働きたい。そう思っていた中で、大学1年生の時、東日本大震災が発生。帰れる状況ではなかった。 「いつかは気仙沼に帰りたい」という気持ちを持ったまま、短期大学卒業後も関東での暮らしを続けていた。 「20代は都会での暮らしを楽しんだけど、30代に入って仕事や生活のバランスを考えたときに、長い目で見たら田舎の方がいいなと思ったので、だんだん気仙沼に帰ってくる手段を考えはじめました」 photo & text by Hisako Miura ゆうすけさんが気仙沼に帰ってくるまで、2〜3年くらい時間がかかったそう。 「向こう(関東)にいたときは、一応大手の会社にいて。その会社を辞めて、気仙沼に帰って働こうと考えていたときに、周りから『お前、地元じゃなくて関東で生活した方がいい』って見方をされて。確かに関東と比べたら給与だってどうしても安いし、お店がたくさんあるわけでもないし。言ってることもわかる反面、逆にここに居続けて自分は満たされるのか?とも思った。そのバランスが難しくて。気仙沼で就職するにしても、調べてもピンとくる仕事が特にあるわけではなく。あとで後悔するのもいやだなっていう保守的な自分もいたりして、なかなか思い切れずにいたな」 周りに相談して「本当に帰っていいのか」という意見も聞く中で、「この場所にいて、自分は本当に満たされるか」という自問自答を繰り返す日々。 そんなとき、当時勤めていた会社で宮城の営業所への異動相談があり、ゆうすけさんは仕事を辞めずに踏みとどまることに。気仙沼に帰ることを、一度立ち止まった時期だった。 photo & text by Hisako Miura ゆうすけさんが気仙沼へ帰ることへの転機となったのは、コロナ禍。 コロナ禍で会社としての方針が変化したことで、あらためて気仙沼での仕事を探しはじめた。ご縁があったのは、アサヤ株式会社。漁業に関するさまざまな漁具を扱い、漁師の操業を支える老舗の会社だ。 アサヤでは「定置網部門」に配属になり、漁網を取り扱っているそう。 ゆうすけさんは親戚に漁師がいて、漁業の仕事をぼんやりとはイメージできるものの、漁具やロープの扱いははじめて。アサヤでの仕事を通して、はじめて「漁業」という仕事と向き合った。 「はじめてのことばかりなので、大変だなとは思うんですけど、どっちかっていうと楽しいですね。できないことはしょうがないって自分の中で割り切って、知らない世界を楽しみながらやってます」 photo by Yusuke Takahashi 都会は、なんでもある。田舎は、なんにもない。それって、本当にそうなのだろうか? 「都会で暮らすとなると、場所によっては釣りもキャンプも畑も、すぐ近くにはないことが多い。自分がやりたいことを叶えるのがなかなか難しかった。それが気仙沼だと、すぐ近くに海もあって、山もあって、釣りもできて、畑もあるという環境。ちょっと制約のあった関東での暮らしよりも、気仙沼での暮らしの方がのびのびとしている」とゆうすけさんは楽しそうに話す。 気仙沼での暮らしの大変なところを聞いてみたら、「それが案外ないんですよね〜」とのこと。 「田舎って、都会と比べて不便って思う人は多いと思うんですよね。でも、自分は不便と感じてない。なくてもどうにかなるもんだと思っているので。あったらいいけど、無いなら無いでって感覚。そんなに困らないんですよね。逆に、『関東にはなにがある?』と言われると、自分の中で『これがあるから関東っていいよね』というのが、ないかもしれない」 なんにもないどころか、ゆうすけさんにとっての気仙沼での暮らしはなんでもあって、やりたいことができていて満喫しているようだ。 都会に住んでいると、スーパーで買わないと得られなかった野菜。気仙沼に帰ってからはゆうすけさん自身が畑を借りてすこしずつ育てているそう。ゆうすけさんがやってみたかったことのひとつ。 「畑ではジャガイモ、ピーマン、ナス、オクラとかいろいろ育てていて、成長とか見ている過程で、『これってこうやってできているんだな』って結構テンション上がりますよね。『気仙沼はなにもない』と言いながら、そういうことに実際に触れて、なんでも自分でやってみるということがここではできる。季節や食を生活の中で感じられるって、自分はすごい良いことだなと思うので、そういうのも気仙沼に来てよかったと思うことのひとつですね」 以前までの暮らしではできていなかったことが、いまの暮らしではできている。「なにもない」かもしれないけど、自分がやりたいことを自分でつくって楽しめる「余白」がある。それは豊かなことなのかもしれない。 photo & text by Hisako Miura ゆうすけさんから関東や気仙沼での暮らし、仕事のお話しを聞きながら、悩んで立ち止まりながらも、自分自身の人生を生きる選択をしてきた人なんだなと感じた。 「最初は、失敗したらどうしようとか思っていた。転職活動のときに『気仙沼には仕事がない』『収入が減る』とか、そういうのを先に並べちゃったり、行けない理由をつくってる自分がいたんですよ。たらればを並べて。それで、できないようにしているのは自分自身じゃんって気づいて。でも、決め切ったときは『気仙沼でどう楽しもうか』ってすぐに切りかわった。年上の大人たちから『いまの仕事を辞めるのはもったいない』というのをたくさん言われたんですけど、『いや、俺の人生だもんね』って。後悔はないです。シンプルに、『本当は自分はどうしたいのか』っていうところが大事だなって思います」 photo by Yusuke Takahashi あとがき やったことがないことに飛び込むのは、最初は誰でも勇気がいること。 悩みながらも自分自身の気持ちに素直になり、「いつかは気仙沼に帰りたい」を実現させたことでつかんだ暮らし。 ゆうすけさんがいつも楽しそうなのは、ゆうすけさん自身が決めて選んだからこそ。これからも気仙沼での暮らしを全力で楽しんで、日々を過ごして行くんだろうなと思う。 「いつかは帰りたい」を実現させるにはちょっとハードルがあるかもしれないけど、ときどきは地元に帰って、家族や友だちに会って過ごして、地元の空気を感じて。 すこしずつ、すこしずつ、自分自身で「選択」をしていった先に、「いつかは帰りたい」を叶えるタイミングをつかむときがくる。 ゆうすけさんのお話しを聞きながら、そういうことを思ったのでした。
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【気仙沼移住者新聞】が完成!〜新月中学校職場体験〜
1日目はMINATOがどんな仕事をしているのかを知ってもらい、気仙沼に移住して暮らしている人たちの話を聞きました。 2日目は、1日目に収集した情報をまとめて、「気仙沼移住者新聞」をつくることに! マッチョ(ニックネームです)がつくってくれた新聞を紹介します。 移住者新聞〜書き起こしver.〜 <移住者のカギとなる「お試し移住」とは> 移住者の多くが利用しているもの、それがこの「お試し移住」です。 民宿・旅館 ホテルに二週間以内まで滞在でき、気仙沼について知れる機会を得ることができます。この「お試し移住」の甲斐あって多くの人が気仙沼に移住しています。 「お試し移住」魅力ポイント ①手軽さ 1日に宿泊費・レンタカー代合わせて6500円/日の滞在費が出て、手軽に気仙沼を体験できる。 ②支援の充実さ 市内の民宿、ホテル、旅館にお得に滞在できたりなどたくさんの支援があるので、子育て中の家族やテレワーカーの人にもオススメ! ▶︎去年は、五組六名の人が移住! ・20代女性 単身 (理由)地域おこしをしたい 東京から ・30代男性 単身 (理由)ボランティアがきっかけ 東京から ・50代夫婦 家族で (理由)気仙沼が好きで 埼玉から <移住者の声> 実際に移住者の声も聞いてみました。その方たちは、先ほど紹介した「お試し移住」を体験して、気仙沼にあるたくさんの魅力を存分に感じられたそうです。その中の一つに気仙沼の人たちの人柄の良さがありました。その移住者たちは、大半が関東から来た人で、気仙沼との違いに人柄の良さがあったといいます。 その人たちは、「気仙沼の人たちは甘えられるような優しさを持つ人が多い」と言っていて、今までは遠慮しがちだった性格が気仙沼に来てから大きく変わったそうです。その地域の近所の方たちともすぐに馴染み、イベントなどにも一緒に行っているそうです。気仙沼の人柄には、都会には無いよさがあるのかもしれません。 <感じたこと> 移住者の声の中に、人柄や自然などの魅力があるという声を多く 聞きました。その魅力は、このような住支援センターだけでなく、僕たちも関わっているのだと感じました。気仙沼の人口減少は深刻化していて、消滅可能性都市と言われているほどです。この状況から抜け出すためには、移住者や観光客を増やす魅力を保っていく、増やしていくことが必要です。 僕も地域のボランティア活動や日々の挨拶を絶 やさず行っていき、気仙沼をよりよくしていきたいです。 (作者:マッチョ) 振り返り会では「最初は緊張していたけど、明るく迎えてくれて2日目は楽しみな気持ちで迎えた」「移住者の話を聞いてみると知らないことが多かったので、聞けてよかった」などなどお話ししてくれました。2日間やり切ってくれて、ありがとう!