気仙沼での暮らし方 コラム#4-9 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
2024年12月28日
気仙沼から伝えられることって、何だろう。
同じ市内でも、被災状況は人それぞれ。
だからこそ、お互いに気を遣う空気感があった。
かずえさんに、当時のことを聞いた。
「(津波で)家が流されなかったところもあるでしょう。だから、(家を流された)私に合わせようとするの。お通夜さ行った時みたいな感じ。海の近くに会社や工場があったから、全部流されているんだろうなってことは、みんなわかるじゃないですか。私に寄り添って、みんなそういうトーンで話してくれる。
それがね、本当に大変になってきたの。合わせてもらっているトーンに合わせるのが。それに合わせると、メンタルがやられそうな感じがしたので。
だから、もっと自分のフラットなトーンでいいやって思い始めて。しょうがない、大丈夫、大丈夫!って。『何か私にあげてもいいものあったら、もらうからちょうだい!』って自分から言うくらいに。そういう感じに変わったっけ、楽になってきた。
あんまりさ、家がなくなった人たちに悪いって思わないでいいよって思ってる。それで、自分をもっと楽にさせたほうがいいなって思うようになった」
そう思う一方で、それは従業員や家族が助かったからそう言えるのだと思う、とかずえさんは言う。
「何もいらないから、人命だけ助かれば、あとはなんとかなるからって、本当にそう思ってる。今も、こうして生きているし、当たり前の暮らしができるようになったし。だから、生きていたら、なんとかなるんですよ」
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photo by kohei shikama
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