気仙沼での暮らし方 コラム#4-2 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
2024年12月28日
気仙沼から伝えられることって、何だろう。
浅草の仲見世通りにある、梅干しと定食の店「梅と星」@ume_to_hoshi へ。
鶴亀食堂がここでイベント的に気仙沼産のカツオやわかめ、メカジキを出したり、斉吉商店が海鮮丼を出したりしたこともあり、東京と気仙沼をつなぐ場所にもなっている。
この場所を運営するのは、株式会社バンブーカットの竹内順平さん。
「気仙沼漁師カレンダー」を気仙沼つばき会と一緒に制作してきた、気仙沼と切っても切れないご縁の方だ。
竹内さんが始めて気仙沼を訪れたのは、2012年にほぼ日が開催した「気仙沼さんま寄席」の時。当時は大学を卒業したてで、ほぼ日のアルバイト未満のような状態。お手伝いのような、付き添いのような、そんな形でスタートした。それから「気仙沼のほぼ日」ができて、通う理由ができた。
「何かと手を挙げて、力になれるなら、なんでもやります!って感じでした」
2年ほど働いたほぼ日を卒業してまもない頃、ご縁あって漁師カレンダーの制作に携わることになった。
「ほぼ日にいられたおかげで、微力ながらも力になれる環境にいられたんですけど、卒業したらなんの力にもなれなくて、関わり続ける仕事をつくることもできなくて。そんな中でいただいたお話しだったので、ご縁が切れなかったという喜びは、すごく大きかったですよ」
これまでとは違って、自分でプロジェクトを回していかなきゃいけない中で、どうしたら力になれるのかたくさん考えたという。そして今年、最終章となった10作目が完成した。
「本当に力になれたのか、今も答えはわからないです。でも、なってると思ってもらえたら良いなと思います」
答えはわからない。そう話す竹内さん。どんな思いで気仙沼に関わり続けてきたのだろう。
(1/3)
photo by asami iizuka
ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中!