気仙沼での暮らし方 コラム#2-4 海のまちで暮らすということ
2024年12月3日
海のまちで暮らすということ
白くひかる祈りの帆が、静かにまちを見渡している。
気仙沼市復興祈念公園。
市内のあちこちから、この帆が見えるようになっている。
2011年3月。東日本大震災が発生し、避難所となっていた体育館で行われた卒業式で代表生徒が読んだ答辞が言葉が、今も記憶に残っている。
「天を恨まず、運命に耐え、
助け合って生きていくことが、
これからの私たちの使命です」
10年以上経ってこの言葉に再び出会った時、
このまちの人たちは「運命に耐える」より「運命を変えてやる」くらいの気持ちで今日までやってきたんじゃないか、と勝手ながら思った。
「耐える」という言葉が、なんだか似合わない気がしたのだ。
私が知っている気仙沼は、もっと主体的で、能動的で、「自分たちのことは自分たちでやっていく」という意志に溢れているから。
気仙沼市の復興スローガンは「海と生きる」。
海は時に人にとっての脅威となる。それは忘れてはいけない。
ここに生きる人たちの根底には、海に生かされてきた感謝がある。海と一緒にまちをつくってきた歴史がある。
だから、海と生きる。そう自分たちで決めてきたんじゃないだろうか。
2023年。公園からは
海と、
市場と、
漁船と、
気仙沼のまちが見えた。
photo by asami iizuka
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